お経は声を出して読むべきですか? | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 たとえ暗記しているお経であっても、経本があるなら経本を見て読経するのが、日本の大方の宗派においては正しい作法だ。目で漢字を追うことで、ともすれば読経の間にも散乱しがちな心に気づきを与えるためだ。

 目で文字を追い、そしてしっかりと声を出してお経を読む。微音で読むとか、心中で祈念すると定められた文句を除いて、基本的にお経は声を出して読むのが原則だ。

 試してみるとわかるが、黙読で読経すると、なかなか心が定まらない。やはりしっかりと目で文字を追い、しっかりと声を出すことによってこそ、読経は気づき(sati)の手立てとなる。

 というのも、お坊さんには食事の前後にあげる、「斎食儀」と呼ばれる食事作法の言葉があって、この文句が多くの宗派に共通なのはなぜなのか、そもそもこの作法の出典は何なのかということについては、また稿を改めさせて頂くとして、とりあえず私は修行道場以外の場所で食事を頂く時にも、これを唱えさせて頂いている。

 でも出先の普通の食堂などで、長々とこれを唱えるのもどうかと思い、そんな時は心中で唱えていたのだが、ついゴニョゴニョとごまかしてしまって、雑になることもしばしばだ。

 気づきがどうのと偉そうなことを言いながら形だけ唱えてるぐらいなら、いっそしっかりと合掌だけしてから食事を頂いた方が、よほど心に気づきを与えることになるなあと思った瞬間に頭に浮かんだことを、ちょっと書かせて頂きました。
                  
                    おしまい。

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