比叡山にもシカは増えていて、日中、無動寺にお参りすると、参道や境内にシカの糞を見かけることもしばしばだ。ましてや人気の絶えた夜分になれば、シカたちは、いよいよと動き出す。
昨夜遅く、比叡山中のあちこちに、シカの目が光っていた。茂みには時々、はっきりとシカの姿まで見えているが、無動寺坂の参道には人気もない。ただ、何ヶ所か、八千枚大護摩供の大きな案内看板が立っていて、参道には大勢の人々が通った跡がある、と思った瞬間に、谷底からびいと一声、高らかにシカの声がした。
真っ暗な明王堂から石段を降りると、護摩堂前では参詣随喜の人々が、熱心に不動真言を唱えている。11月2日正午から11月3日の正午まで、昼夜、何座にも渡っての八千枚大護摩供は、五穀断ち、塩断ちの前行1週間を経て、深夜に差し掛かったところだった。
さて、昨年、千日回峰行を満行された光永圓道大阿闍梨にとっての初の八千枚大護摩供は、行中の圓道師を介添えする御僧侶方、高く上がる大護摩の火を片時も離れず見守る承仕方、参詣随喜の信者たちといった、たくさんの人々の仏縁が一つになって、今日、11月3日のこの時間には、無事、結願していることだろう。
さて、昨年、千日回峰行を満行された光永圓道大阿闍梨にとっての初の八千枚大護摩供は、行中の圓道師を介添えする御僧侶方、高く上がる大護摩の火を片時も離れず見守る承仕方、参詣随喜の信者たちといった、たくさんの人々の仏縁が一つになって、今日、11月3日のこの時間には、無事、結願していることだろう。
お坊さんになるずっと前、「本朝高僧伝」に頼尋阿闍梨という平安時代の僧が八千枚護摩供を修して生身の不動明王の両脚を見たという伝説が、載っているのを読んだことがある。まさか自分がお坊さんになって、実際の八千枚大護摩供に随喜させて頂くことになるなんて、思いもしなかった頃のことで、正しい仏法を体現した、千日回峰行者の大護摩供に随喜させて頂けたことは、私にとっては不動明王の両脚を生身に拝するよりも、遥かに稀有な仏縁だ。