仏典「テーラガーター」、「テーリーガーター」の岩波文庫版である、「仏弟子の告白」、「尼僧の告白」には、たとえば他人の指を切り取って首飾りにしていた過去を持つアングリマーラ長老や、我が子を亡くして半狂乱になっていたが、芥子粒の教えで救われたキサー・ゴータミー長老尼といった、仏伝物語でお馴染みの、仏弟子たち自身の肉声が記録されていて、とても感動的だ。
人一倍、愚昧なるが故に軽蔑されていたが、ブッダに渡された一枚の布でひたすら掃除をし続けて、遂に悟りを得た周利槃特(しゅりはんどく)即ちチューラパンタカ長老の話は、法話や仏教書によく引用されていて、殊に有名だ。
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わたしの進歩は遅かった。わたしは以前には軽蔑されていた。兄は私を追い出した。「さあ、お前は家へ帰れ!」といって。
こうして、追い出されて、わたしは僧園の通路の小屋に、がっかりして、静かに立っていた。なお教えのあることを期待して。
そこへ尊き師が来られて、わたしの頭を撫でて、わたしの手を執って、僧園のなかに連れて行かれた。
慈しみの念をもって、師はわたしに足拭きの布を与えられた。「この浄らかな物をひたすらに専念して、気をつけていなさい」といって。
わたしは師のことばを聴いて、教えを楽しみながら、最上の道理に到達するために、精神統一を実践した。
わたしは過去世の状態を知った。見通す眼(天眼)は浄められた。三つの明知は体得された。ブッダの教えはなしとげられた。 (中村元訳)
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ブッダの何と慈悲深いことか。チューラパンタカ長老の何と純真無垢なことか。けれど「仏弟子の告白」は、その慈悲深いブッダをあなたも礼拝しなさいと勧める、単なる信仰告白の書ではない。
正しい教えに従って修行するならば、私たちもブッダの如く慈悲深くなれる。正しい教えに従って修行するならば、私たちもチューラパンタカ長老のように悟りを得ることが出来る。
すべての仏典は、そのための確かな手引書だ。