この話をすると、大抵、驚かれるか、笑われるかするのだが、私はお坊さんになりたいと思った時、電話帳でお寺を探した。インターネットもなければ、「僧侶になるには」とか「プチ出家しよう」だとかいう本が、書店には溢れていなかった頃の話だ。
そして、町の普通の檀家寺の住職だった私の師匠は、電話帳を見て訪ねて来た、どこの馬の骨とも分からない若僧の話を聞いて、出家に同意してくれた。先年、若くして亡くなった、この師匠の決断がなければ、今の私はなかった。
師匠が私を京都の修行寺に預けてくれることになり、師匠の車で大阪から京都まで送ってもらった。師匠は米一俵を担いでお寺に供え、老僧に挨拶すると、心細い私を残して寺を後にした。修行寺の老僧は、お坊さんに必要な物は追々揃えればいいから、頭だけ丸めて、体一つで来ればいいと言ってくれていた。
そして私は、その小僧修行の間にいろんなことを学んだ。本山での修行に上がる前に必要な、お坊さんとしての基礎知識、さらにはきっと、本山ではそこまで教えてくれないであろう、法儀や所作に関する、ちょっとしたコツや心得を学んだことが、その後の修行にいかほど役立ったことだろう。
一起き、二掃除、三勤行と教えられ、米の研ぎ方、素麺のゆで方、足跡を立てない廊下の走り方、人と挨拶する時に、立ち止まって挨拶すること、戸の開け閉めをする時に音を立てないこと、それこそ箸の上げ下ろしに至るまで、細かく躾けて頂いたが、それらがすべて、単なる礼儀作法ではなくて、一念一念の気づきを疎かにしないための所作だったと思い当たるのは、ずっと後になってからのことだ。
こんな修行をさせてくれるお寺はもうどこにもないよとみんなに言われていたのだが、後年、別のお寺で小僧修行をしていたお坊さんにそれを話すと、自分も同じことを言われて育ててもらったよと言って笑っていた。もちろん私よりずっと長く、より深い小僧修行をされたお坊さんがたくさんいることは、私だって分かっている。
だから私もインターネットや僧侶入門の本を見てお坊さんになった人たちのことを、否定したりする気はない。すべては自分の縁の持ち分だから、取っ掛かりがどうであれ、仏縁となったのならば、それでいい。
だから私もインターネットや僧侶入門の本を見てお坊さんになった人たちのことを、否定したりする気はない。すべては自分の縁の持ち分だから、取っ掛かりがどうであれ、仏縁となったのならば、それでいい。
ただ私は、学ばせて頂いたいろんなことが縁となり、その蓄積にその後の経験が積み重ねってまた縁となり、熟して熟して現在の自分を形作っていることを、米を研いでいても、立ち止まって人に挨拶していても、つくづくと思うばかりだ。