昔話に出てくる旅のお坊さんに憧れて出家しようと思ったが、日本の宗教や伝説を調べるうちに、神道のことを理解しなければ、日本の宗教は分からないと思って、まずは大学で神道学を専攻した。
その後、比叡山の鎮守である日吉大社に勤めた同窓生が、うちは神社なのに、時々、比叡山のお坊さんたちがやって来て法要をするんだと、驚いたように教えてくれた。そう、神職の学校では、お坊さんがなぜ神仏分離後の今も実際に神祇を拝しているかという理由など教えてはくれないから、彼が驚いたのも無理はない。
さて、念願かなって比叡山で得度し、京都のお寺で小僧修行をさせて頂いた頃に、近辺の既成仏教の他宗派のお坊さんが弟子を引き連れて、そのお寺に参拝に来られたことがある。
自分の宗派では法力、霊力のある者しか修行できない、自分も神々の力無しに修行が完成するとは思わないから、神職の資格を取ろうと思ってるんだよと、私の経歴を聞いたそのお坊さんが言う。今の私はその考えに賛成できないので、敢えてその方の宗派名は書かないが、とりあえずお坊さんになった途端に、神仏習合に理解のある方との出会いが、無数に増えたのは嬉しかった。
タイで修行する時にも私はまだ、派遣して下さった横浜善光寺留学僧育英会の応募論文に、アジアのアニミズムの中で神道を考え、アジア仏教の中で神道を含む日本仏教を考える、といったことを書いていた。
その後に赴任したインドのブッダガヤ日本寺に、毎年、アメリカの大学グループが坐禅に来たのだが、当時の駐在主任・三橋ヴィプラティッサ比丘は、コース終了後に、簡単な作法でのお茶席を設けていた。
ある時、日本製の扇子に駐在僧みんなで書を認めて記念品として配り、三橋師が一人ずつに渡った扇子の文字を解説するという、大喜利のような企画を考えられたことがある。
駐在同期のH師やY師が何という字を書いたのかは知らない。けれど私はまだ神道や老荘に関連するような文字を書いて、三橋師を困らせたものだ。思えば自分が自分に対して仕掛けただけの、神仏習合という呪縛を自分自身で断ち切るのに、何と時間の掛かったことだろうかと、我ながら思う。
今はもう、諸行無常、縁起の理法を離れては、神もこの世の宗教もないと、何年も掛かって体感できるようになった。それなのに現在、愚にもつかない癒しブームの中で、共生の時代だからアニミズムだ、神仏共存だ、神社はパワースポットだなどと騒いでいる世間の風潮が、私にはたまらなく歯痒い。
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