タイのワット・パクナムというお寺でテラワーダ修行し始めてすぐの頃。インドでサドゥー修行中だという日本人男性が訪ねて来て、ほら、タイではやっぱり上半身裸に腰布1枚というわけには行きませんからねと言って、きちゃないランニングシャツを羽織りながら、にっこりと笑う。
ワット・パクナムの瞑想法は、一般的なテラワーダ仏教のヴィパッサナ瞑想とは違って、「サンマーアラハン」と心に唱えながら、透明な球体を観想するという特殊な方法だ。
日本人サドゥーの方は、以前からワット・パクナムに出入りしているらしく、この瞑想法のこともよくご存知で、パクナムの瞑想法は口にマントラ(真言)を唱えつつ、手にムドラ(印)を結び、心に球体を思い浮かべる訳です、などと説明して下さるのだが、私にとっては、ああ、大袈裟だとしか思えない。
まあ、確かに手は定印の形を取るけれど、あくまでこれは仏教の教えに基いた、心を整えるための行であり、その形が一番安定するから、手を重ねるだけのことなのに。
ヒンドゥーやヨガのムドラとも共通する密教の印も、あくまで身口意のうちの、身すなわち体を整えるために結ぶのだ。ましてや密教以前の印相といわれる、施無畏印や与願印や説法印などは、実際にブッダの身振りや癖を表したくらいのものに過ぎないと思う。
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