ブッダの息子 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 何の催しの時だったかは忘れたが、インドのブッダガヤで仏教絵画の展示が行われていて、そこで仏弟子ラーフラの絵を見たことがある。出会った知り合いのインド人比丘に、これはブッダの息子の絵ですね? と言うと、そのお坊さんは、いいや、ラーフラはブッダの息子ではなく、シッダルタの息子だよと、まじめな顔で答えてくれた。

 シャカ族の王子シッダルタは結婚して一子を儲けたが、ちょうど出家を考えていたところだったので、この子は出家の障碍になると考えて、子供にラーフラ(障碍)という名前を付けた。それはシッダルタが出家して、ブッダ(目覚めた人)となる前の出来事だったからということで、このお坊さんはそんな風に仰ったのだろうと思う。

 ちなみにタイなどのテラワーダ仏教国で、結婚して子供もある人が出家して夫婦の関係を絶ち、以後は妻や子供が信者として、そのお坊さんと相対するということは、今でも実際によくある話だ。

 それはともかく、日本語の本では「ラーフラはブッダの息子であったことを鼻にかけていたため、最初はなかなか修行が進まず…」といった表現をするのはごく普通のことなので、私は何も考えず「ブッダの息子」という言葉を口にしてしまったのだが、さりとて外国のお坊さんたちが皆、このお坊さんと同じように考えているものなのか、あるいはそれが、ラクノウ出身でインド人比丘には珍しい理知的なタイプだったこのお坊さんの私的な見解だったのかは、他のお坊さんたちに確かめたことがないので、定かではない。

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※ちなみにテーラガーターの岩波文庫版である「仏弟子の告白」80頁には、ラーフラ長老自身の言葉として、「ブッダの子」という言い回しが出てきます。