生まれて初めて嘘をついたのが、幼稚園の頃だったのですが、その後、毎晩、嘘をついてしまったと、悩みに悩みました。でも嘘をつくのは良くないことだと、幼い私に刷り込んだのは、今思えば誰だったのでしょうか?
嘘をついてはいけないという大人はたくさんいますが、なぜ嘘をついてはいけないのかを、明確に教えてくれる大人は少なくて、世の中には嘘をついて何が悪いの? と開き直る方も少なくありません。
嘘も方便という言葉について、方便という仏教語は、嘘を肯定するための用語ではないと、仏教書などには書いてあるかと思うと、方便という言葉の使い方は間違ってるかも知れないけれど、時には上手な嘘で状況をより良く打開するのも人生の機敏だよと、訳知り顔に言う方もあるでしょう。
若い方、年配の方、そこそこの地位にある方、老若男女いろんな大人が嘘をつく瞬間を、今の私はたくさん目にすることがあります。たとえば目上の立場にある人が、上手に嘘をついて、ちょっと目下の誰それに物事の是非を分からせてあげようと意図しているのが傍目にありあり感じられたりする時に、忽然と気づきました。嘘をついてはいけないのはなぜかと言えば、嘘をつく瞬間に、貪り、怒り、愚かさ、迷い、優越感に自惚れに敵愾心にずるさ、いろんな悪が自分の心に発生するからに違いありません。