アジアの礼拝作法…五体投地と三礼の話 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 仏前などで三拝することを、仏教では三礼(さんらい)と言うが、ついでに言うと、仏教では「礼拝」と書いて「らいはい」と読む。「れいはい」と読むのは、主にキリスト教の場合だ。

 さて、立って坐って額、両肘、両膝を着ける礼拝作法を五体投地(ごたいとうち)と言う。インドでは神前における作法として現在でも行われているし、チベット仏教でも盛んに行われているが、インドのブッダガヤの大塔の周りで、たくさんのチベット人が、肘当てその他の五体投地グッズを身に着けて、常に礼拝に励んでいることは、とりわけ日本人の印象に残るらしく、旅行記や仏跡巡礼案内のブッダガヤの項には、大抵その描写がある。

 東アジアにも立って坐っての投地礼(とうちらい)はそのまま伝えられたが、中国系仏教圏で現在でも特に投地礼が盛んなのは韓国仏教だ。韓国のお寺の堂内は、坐禅にいそしむ人々に混じって、礼拝行に励む人たちで、いつもいっぱいだ。

 チベット人が五体投地を繰り返しながら聖地を目指すことはよく知られているが、韓国のお坊さんや仏教徒には三歩一拝と言って、三歩進むたびに五体投地をしながら目的地を目指し、政治的、宗教的主張を訴えるデモンストレーションの方法がある。

 日本仏教にも仏を感得するまで投地礼を繰り返す、天台宗の三千仏礼拝や、十二年籠山の侍真僧(じしんそう)の好相行(こうそうぎょう)などがあり、他の宗派にも多数回、五体投地を繰り返す行が存在する。日本の場合は韓国と違って、主に在家の人ではなく、お坊さんの行であることが多いが、とりあえず仏前で立って坐っての投地礼で三礼することは、日本仏教ではごく日常的な作法だ。

 ところで、タイやラオスやカンボジア、ミャンマーやスリランカなどのテラワーダ仏教における三礼は、ひざまずいたままで額と両肘を地に着ける形だが、同じ仏教の礼拝なのに、なぜテラワーダだけが立って坐る投地礼ではなく、ひざまずく形の跪居礼なのだろうか?

 タイのあれこれを説明したある方のサイトに、タイ仏教の三礼の方法と動画を載せたページがあり、テラワーダの礼拝法は、玄奘三蔵の「大唐西域記」にインドの9種類の礼拝方法が書いてある内の第何番目に当たる、というようなことが書いてある。確かに玄奘が当時のインドの礼拝法の種類を記しているのは間違いではないのだが、それだけではなぜテラワーダ仏教だけがその礼拝法を採用したのかが分からない。

 以下は私の想像と推理だが、ブッダ在世当時から、さほど隔たらない時期に現在、テラワーダ仏教に伝わるような形式や作法は、ほぼ整っていたことと思う。で、当時はまだ仏像はなかったはずだから、仏法僧の三宝に帰依すると言っても、その頃までの人々が何に対して三礼していたのかと言えば、おそらくはブッダその人や、現在のテラワーダ仏教に見られるように、お坊さんが高僧や先輩僧に対して、或いは一般在家の方がお坊さん全般に対して、三礼していたのではないかと思う。

 つまりこれは、生身の人間に対する作法だったわけだ。ブッダが神より偉いとか偉くないとか、歴史上のブッダと法身のブッダがどうとかという、形而上の議論とは全く無関係に、ごく普通に目上の人に敬意を表す作法として、この礼拝法が仏像導入以後も仏前での礼拝作法としてテラワーダ仏教に残り、やがてもっと後になって、大乗仏教にはインド宗教が神を礼拝する時の五体投地礼の作法が取り入れられて、チベット、中国に伝わったのではなかろうか。

 繰り返しますが、これはあくまで私の想像と推理なので、もしも間違ってたら御容赦を。