アジアの人種差別 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 タイのお寺でのテラワーダ修行中、年配で温厚なスリランカ人のお坊さんが客僧としてやって来た。タイの小僧さんたちが珍しそうに周りを取り囲んで、「アフリカ! アフリカ!」と騒いでいる。何てことを言うんだと思ったら、スリランカ人がこう言った。「アフリカじゃない! 私はあんなに黒くない!」

 どこまでも人を自分より下に見る、それが差別の第一歩だ。日本人の何割かだって未だに東南アジアの人を、肌の色で差別しているが、日本人を含む「有色人種」は、未だに「白人」の何割かから、歴然と差別感情を持たれているのが現実だ。

 これもタイでの修行中、中国の、ある公けな機関のタイ研究局の役人が、テラワーダ僧体験のためにやって来たことがある。この人がたまたまそういう人だったのか、中国のインテリは皆そうなのかは知らないが、この方はものすごい中華思想の持ち主だった。話を日本にだけ限っても、タイ人が日本びいきなのが気に入らない。お寺の建具に日本製の物が多いのが気に入らない。周辺諸国を東夷南蛮と呼んで見下していた状況は、国の体制が変わっても、連綿と受け継がれているのだろうかと思ったものだ。

 今度はインドのブッダガヤに赴任してすぐのこと。ガヤの町まで買出しに出かけたら、チャラチャラした若いインド人の男に、「ネパーリー・ワハーン・ジャーナー・ヘ!(ネパール人、あっちへ行きやがれ!)」と言われたことがある。

 社会制度としての差別も、身近な小さないじめも、きっとちょっとした毛嫌いやからかいや優越感や自己保身から発生する。だから差別をなくすには、まず自分の心からなどという言葉は、決して浮世離れしたきれい事ではなくて、どんなに迂遠なように見えても、一つずつ、一つずつ、我々の心から邪悪を取り除く努力をしなければ、いくら制度を変え、政治的な手段を採ったとしても、差別的感情は永遠に人類の心からなくならないだろうと思う。

「アジアのお坊さん」本編
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