世に並びなき神々の王 帝釈天インドラの話 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 インド神話の神である神々の王インドラが仏典に取り入れられ、帝釈天(たいしゃくてん)として日本人にも親しまれていることは周知の通りだ。帝釈天は法華経の聴聞者の中にも眷属を従えて連なっているし、阿弥陀経にも釈提桓因 (しゃくだいかんにん)という名で、梵天を差し置いて神々の中ではただ一人、名を連ねている。

 原始仏典でもインドラ神の名はお馴染みで、岩波文庫版に限っても、例えば「ブッダのことば」(スッタニパータ)に、ブッダの誕生に際してインドラ神が歓喜するのを見たアシタ仙人の話が出て来る。アシタ仙のこのエピソードは、イエス・キリストの誕生時にベツレヘムの星を追ってやって来た東方の三賢者の伝説と並ぶ、美しい挿話だ。

 「悪魔との対話」(サンユッタニカータ)にも帝釈天に関する挿話の集成があるし、「ブッダ 最後の旅」(マハパリニッバーナ経)には、ブッダの死に際して帝釈天インドラが、諸行無常の偈文を唱えたことが記されている。

 リグ・ヴェーダ時代には人気の高かったインドラ神も、ヒンドゥー教時代になると、シヴァ神やヴィシュヌ神を前にして、すっかり影が薄くなったと言われるのが常だ。

 そして仏典に帝釈天が登場することについては、当時まだ信仰の篤かったインドラ神を、仏教が自分の優位を際立たせるために、仏典の中に取り込んだかのように説かれる訳だが、仏典における帝釈天インドラの生き生きとした描写を見ていると、当時の仏典作者が一インド人として、普通にインドラ神の存在を信じ、そして帝釈天インドラがブッダの出現を喜んでブッダの教えを請い、仏法の守護者となったことをも信じていたからこそ、仏典の中に帝釈天インドラがしばしば登場するのではないかと、私は思う。