比叡山 無動寺 節分会…明王堂の豆まきでは、誰が豆を撒いたのか?  | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 昨日は、千日回峰行で知られる、比叡山無動寺谷の明王堂でも節分会があり、一日5座の護摩供の最後は結願の日数心経(にっすうしんぎょう)、すなわち新春の除夜に当たって一年分の般若心経を読誦する、恒例の行事が執り行われた。

 人一人分通れるだけの雪掻きはされているものの、夜分のこととて、凍てた参道は足元も暗い。しかしなお、条件整い、仏縁生じた参詣随喜の信者たちは、阿闍梨さんが護摩を修する間、一心に心経を唱和した。

 随喜、というのは良い言葉で、仏法に触れる喜びを以て、法要に随伴、参加するということだから、一般在家の人々のお参りにも使われるし、或いはまた、お坊さんが自宗であれ、他宗であれ、よその法要に参列する時にも使われる。

 お坊さんにとって、他のお寺、特に正しい仏法、法儀を体現している道場に随喜することは、日常に固定化しがちな自身の修行や法務をリセットするための、またとない機縁となるはずだ。

 などという小難しい話はともかくとして、無動寺の豆まきに初めて随喜する私には、誰が豆を撒くのかが楽しみだった。昔、小僧修行させて頂いていた京都のお寺の節分には、今は亡き山城新伍氏が毎年、豆を撒きに来られたものだが、明王堂の節分会では、果たして誰が? もしかして?

 さて、法要後、阿闍梨さんはいつものあのさわやかな口調で、「はい、ありがとうございました、では、豆まきをします」と仰って、やおら枡を手に、先ずは福は内を3度、次に堂外に向けて威勢良く鬼は外と唱えられた後、自らの手で参詣随喜の面々に、年の数にちなんだ豆を下さって、日数心経は、良き仏縁となり結願した。


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