昔、よく旅本や旅行誌などで、海外で聞く関西弁は不愉快だという意見を、何度か見たことがあるが、先日、インターネットで検索してみたら、出るわ、出るわ、大声で騒ぐ関西人が不愉快だとか、自分は関西人だが、そんな意見はとても心外で、失礼だとか、私は東京人ですが、全く気になりませんとか、いろんなことが書いてある。
私は大阪生まれの関西人なので、大阪の子供たちが本当にきつねうどんや、たこ焼きは大阪の誇る食文化だと思っていることや、子供たちが老練な漫才師の使うような言葉を、半ば冗談交じりにしろ、日常使ったりすることも知っている。
そして関西人が、東京人の関知するところではない、異様な敵愾心を東京に対して持っているというのも、決してマスコミの誇張ではないことも知っている。東京に遊びに行ったけれど、ずっと関西弁で通していたら、友達と普通の会話をしているだけなのに、周りの人が漫才みたいだと、腹を抱えて爆笑したなどという武勇伝を、何人の関西人から聞かされたことだろう。
私は関西の言葉も食べ物も風土も、その合理精神も好きだ。もちろん、伝統が現代生活に見事に生かされている、京都のような土地ばかりではなく、因習にがんじがらめで身動き取れないような地域も、関西にはたくさんあるのだが、少なくとも私の育った大阪市内では、老若男女問わず、良い意味で伝統に囚われない人が多く、余分を排して単純明快な仏教の真理で物事を解明したいと願う、今の私の心性を培う上で、その環境はきっと良い影響を与えてくれたことであろうと思う。
が、しかし、だ。お坊さんになった後、海外も含めて、関西以外の様々な土地で暮らしてみたら、本当に世間が言う通り、よそで出会う関西人はマナーが悪いのだ。もちろん一概には言えないし、良き関西人はたくさんいるのだけれど、関西以外の土地では、人々は本当に列に並んでいる時に横入りしないんだ、大声で騒がないんだ、少々のことではいらいらせずにニコニコしているんだ、などと驚くことが何度もあった。
例えば神妙な場でわざとはしゃいだりする、などという行為は、決して世間にあまた溢れかえっている、大阪びいきの大阪本が言う所の、反骨精神でもなければ、「愛すべきアホ」でもなく、ただの行儀の悪い人たちの、タチの悪い振る舞いでしかないと思う。
そんなわけで、結論。海外で聞く関西弁が不愉快なのではなく、一部のお行儀の悪い関西人の行動が、他の人から見れば、海外では特に不快に映るのであって、彼らの話す言語が、たまたまガサツな関西弁だということだ。
ただし言語は精神を規定するから、現在、上品な関西弁を話している、お行儀の良い関西人の皆さんも、その言葉遣い、物の見方に気をつけていないと、いつ、何時、人に不快感を与えるか分からないので、要注意だ。そして、それはもう、関西人に限らず、人間誰しもが、、海外であれ、国内であれ、常日頃、気をつけていたい事柄だ。
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※ちなみに関西出身のアイドルタレントやミュージシャンが、関西人だというだけで、お笑い芸人でもないのに、くそ面白くもない関西弁トークを、さも面白そうに繰り広げているのを聞くのは、関西人としては大変、不愉快です。
おしまい。
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