お坊さんとただの密教オタクでは、何が違いますか? | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 護摩を修したり、印を結んだり、真言を唱えたりといった密教の所作というものは、素人目にも格好良く映るものだけれど、実を言うと、この外見的に格好良く見えるという点は、密教における、一つの重要な側面を表しているとも言える。

 けれどもちろん弊害もあって、本で覚えた密教の印を結んで喜んでいるような素人さんたちを、お坊さんになる前に何度も見かけたことがある。そう、困ったことに仏教書の種類が飛躍的に増える中で、密教の所作を素人相手に説き明かしている本が、たくさん出回っていたりするのだ。

 その後、天台宗のお坊さんになり、密教の加行(けぎょう)を受けて知ったことは、師僧による伝法のない一切の密教の所作は、何の効力も持たないという約束事だった。

 天台宗の場合は密教と顕教を併修するので一層そのことがよくわかるのだが、たとえばお坊さんが仏教に関する知識をたくさん持っていることも、衣食住に関わる立ち居振る舞いの全てに気をつけていることも、或いはいろんなお経を覚えていて、一般の方より上手に読経できることも、みんな密教の所作の一つ一つを構成するための、重要な要素なのだ。

 密教の所作が格好良く見える事の裏には、そうした難解な修行の構成内容を、修行経験のない一般在家の方々にも易しく瞬時に理解させるための儀礼、難しく言えば「化儀」としての意味合いも含まれている。それを理解しているかどうかが、お坊さんと興味本位な素人を隔てる、決定的な違いなのだから、お坊さん自身も密教のことを、仏さまからパワーを頂くための、単なる派手なパフォーマンスだと勘違いしないように、ゆめゆめ気をつけていたいものだと思う。

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