お坊さんの修行に、生まれついての人柄は関係しますか?        …プラ・ユキ・ナラテボー師に | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 よく思うことなのだが、たとえお坊さんが皆、同じ理念に基づいて修行し、我を捨て、慈悲を心がけ、温厚な人柄を目指していたとしても、本来、持っていたその人の個性は、その修行の進み具合や、修行後の人格に、個人差を与えるのではなかろうか?

 阿羅漢となり、悟りを開いたとされるブッダの直弟子たちですら、仏典によれば様々な個性を持っていたようだから、まして現代のお坊さんたちならば、まじめで温厚だった方はそのような、豪快で明るいタイプの方はそのような、それぞれ、お坊さんになるのは当然のことだろう。

 ただし、どんな性格だから修行に適しているということは、決して言えなくて、修行の完成は、性格や環境だけでなく、その他のいろんな条件の集積によって決定すると思う。

 さて、何度も紹介させて頂いてる、タイで活躍中の日本人上座部僧、プラ・ユキ・ナラテボー師はとても温厚な性格で、この方を見ていると、お坊さんになる前から温厚な方だったのだろうなあといつも思うのだが、そのプラ・ユキ師に、ずっと昔、一度だけ叱られたことがある。

 と言っても面と向かって怒られた訳では、もちろんない。バンコクのお寺での修行中、プラ・ユキ師と初めて出会い、その後、チャイヤプームに住むプラ・ユキ師と何度も手紙のやり取りをさせて頂いた。その手紙の中で、瞑想修行の進行状況を余り他言してはいけないと聞いたので、今日はこのくらいにしておきます、と書いたところ、それは誰が、いつ、どこで言っていることなのか、瞑想修行の状況を、修行者同士や師僧との間で確認するのはとても大事なことなのだと、いつにない、厳しい調子のお返事を下さった。

 私もそれが、当時読んだ何の本に出ていたことなのか、今ではもう覚えていないのだけれど、プラ・ユキ師の返事を読んだその瞬間に、未熟さから生じていたであろう私の我は崩れ、その後の私の修行にいかほどか、役立ったことだろう。そしてプラ・ユキ師のお人柄はその頃から今に至るまで、ずっと変わらず温厚で、慈悲と気づきに満ちている。