子どもの頃、奇術師になりたいと思っていた。小学校の低学年の頃に、本屋で手品の本を立ち読みし出し、高学年になって、松田道弘氏の「奇術のたのしみ」に出会った。それから何度この本を読み直したか分からない。柳田国男もエッシャーも、ヒッチコックもフレドリック・ブラウンも、すべてこの本で初めて名前を知った。
通い詰めていた百貨店の奇術用品売り場のディーラーに勧められて、奇術大会を見に行った。テレビで見たことのない演技の数々に友達と二人でうっとりしていたら、後で観客が口々に、「どうしてあんなカードの出し方をするのかなあ」などと話し合っていて、どんな世界にもマニアというものがいることを、この時生まれて初めて知った。
当時、奇術の百科事典と言われる「ターベル・コース・イン・マジック」全7巻の日本語版が出版され、中学生の時にお年玉で、1冊5500円もする第1巻を買い、文字通り寝る間も惜しんで読んだ。本当に手品の道具は、子どもには手の出せない価格のものが多かった。
10代の終わりに、奇術家でもあるミステリ作家の泡坂妻夫氏の作品を読み始め、感極まってファンレターを出したら、丁寧な長文のお返事と共に、氏が本名の厚川昌男名義で発表した奇術書の「四角な鞄」を署名入りで送って下さった。ファンレターというものを出したのはこの時と、小学生の頃に奇術師の松旭斎晃洋氏に送った時の2度だけで、晃洋氏もやはり返事を下さった。
泡坂氏が「種明かしのすすめ」という文章を書いておられることは有名だが、しかし世の中にはただ単に種を見破ってやろうという気持ちで手品を見る人が多い。「奥さまは魔女」の中で魔法を使ったサマンサに、魔法を信じられない男が「鏡を使ったんだろう?」と言う。そこでサマンサがまた魔法で手鏡を取り出すと、相手は「袖の中に隠してたんだろう?」と言い返すので、今度は大きな姿見を取り出すと、相手が遂に魔法を信じるというシーンがあった。
このシーンは奇術の種を見破ろうとする西洋の客の常套句、「They do it with mirrors」、「It up the sleeve」という2つの言葉を茶化したものだと思うが、でもプロの奇術師だって、自分の知らない奇術に出会った時、夢を壊さないために種を教えてくれない方がいい、などと言う人はいないのではないのかな?
子どもの頃、どうして手品が好きなのかとよく聞かれたが、人を驚かせたいとか、夢を与えたいとかではなく、私はタネが知りたくて、手品の本を立ち読みし出したように思う。そしてお坊さんになる前、10代の半ばに宗教や伝説について興味を持ち出したのも、今思えば、この世には不思議なことが満ちていて、まずはその謎を解き明かしたいと思ったからだった。
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