パキスタンのラホール博物館にある有名な釈迦苦行像は、仏教美術の至宝として名高い。単なる見た目のインパクトだけではなく、美術品としての完成度が高ければこそ、人々に強烈な印象を与えるのだろう。
正確に言えば、これはブッダが悟りを開く前の姿なので、ブッダではなくシッダルタの苦行像と呼ぶべきかも知れない。このあたりにこだわる仏教徒は割と多くて、私もテラワーダのお坊さんに対して、仏弟子ラーフラのことを英語で「ブッダの息子」と表現したら、いいや、ラーフラはシッダルタの息子だと、訂正されたことがある。
まあ苦行像に関しては英語でも「Fasting Siddharta」ではなく、「Fasting Buddha」と表現している場合があるので、あまり目くじらを立てることはないのかも知れないが、それよりもブッダが悟りを開く前の、しかもブッダ自らが否定した苦行を行う姿がもてはやされるのは、ちょっと奇妙な感じがする。
ブッダの教え、ダルマ、法の象徴として仏像を礼拝するのならば、やはり悟りを開いた後のブッダ像を礼拝するべきだとは思うが、ブッダの生涯を表した仏伝美術の一種として、ブッダを偲ぶために苦行像をもてはやしているのなら、それも良いのかも知れない。
※ホームページ「アジアのお坊さん」もご覧下さい!!
「ブッダは剃髪していたか?…仏像の誕生」もご参考に!!