スピリチュアルって、なんでんねん? | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 1960年代から70年代にかけてのヒッピー・ムーブメントやらカウンター・カルチャーからニュー・エイジ・サイエンスが派生し、それが日本では80年代に思想をオシャレに語ろうとかいう奇妙な流行と一つになって、独自の精神世界ブームが起こったことがある。

 で、それがまた90年代に、多分バブルの崩壊やら、地球温暖化などによる人間や環境の疲弊と相俟って、癒しとか共生とかエコロジーとかリラクセーションなどという言葉が一人歩きし始めた。

 癒しも共生も、言っている内容自体は間違いではないどころか良いことだから、ある仏教宗派が共生をわざわざ「ともいき」などと妙な訓読みにしているのも、リラクセーションをみんながリラクゼーションと濁って使用していることにも目をつぶろう。でも2000年代に入ってからのスピリチュアルという言葉の流行だけは、ただ見逃してしまうには、とても危険だ。

 一番いけないのは、この流行に既成仏教や既成宗教も無縁ではないことだ。今までだったら新宗教が流行するのは既成仏教に力がないからだなどと言われていたのに、スピリチュアルを標榜する芸能人たちは正しいお寺参りや神社参りの方法を指南してみせるし、既成宗教も「ちょいスピ」だとか「プチ修行」だとかの特集で取材されて、「若い女性の方が癒しを求めに来られます」などと嬉しそうに答えている。そしてみんなで気づかない内に、徐々に軌道を外れて行くのだ。

 例えば「テンション」とか「モチベーション」が元の英語と違う意味で使われていたり、なんでもかんでもただ始めるだけのことまで「立ち上げる」と言ってみたりすることに関しては、いいや、そんなのわかってる、ただこの方が意思の疎通がしやすいからだとか、言葉の使い方は時代と共に変わって行くもんだとか、ほら、その間にも言葉というものは怖ろしいもので、徐々にあなたの血となり肉となり、あなたの身と心を、そう、その語源の通り、虫が食むように蝕んで行く。

 そんなわけでスピリチュアルという言葉、要注意です。

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