畜生という言葉は、人間以外の動物全般を指すという説と、人間に使役される家畜を指すという説があるが、どちらにしても三悪道では地獄、餓鬼に次いで下から三番目、六道や十界では人間より二つ下の位とされている。
動物にも仏性があるかどうかという問題は中国、日本を通じて重要なテーマとして議論されて来たが、今でも宗派によってはペット供養をしないところがあるそうだ。
三悪道も六道も仏教以前のインド思想から来ていると言われているが、だからと言って仏教がこうした考えを重要視していなかったとは言えない。悟りを開いた人間からは地獄、餓鬼、畜生の境涯が消え去ると、ブッダも説いたとされている。
さらに大乗仏教では、六道や十界は実世界ではなく、人間の心の境地を指すともされているが、仮にそうだとしても、ではなぜ畜生だとか餓鬼だとか天などという概念を現代にそのまま使用する必要があるのだろうか? 教学に頭を支配されていると、必要のない用語や概念をなかなか捨て去ることができない。
人類は進化して知能を得た時点で動物を含めた自然界をある程度支配し、人間社会の中で人間は動物よりも偉いというルールを自分たちで勝手に決めた。確かに人間と他の動物は、生物として全く同等ではないし、人類が地球をある程度管理している現況からすれば、人類が動物よりも優位に立っていることは否めない。
だが仏教的に言えば、人間も他の生物すべても、それぞれの縁や条件が重なって存在しているだけで生命の形態としては大差ないのだから、少なくとも今後は、畜生などという用語を使用する必要は、最早ないのではなかろうか。
※ホームページ「アジアのお坊さん」もご覧下さい!!