キリスト教におけるラテン語のように、お経の言葉は世界の仏教徒同志の会話に使えますかという質問に対して、漢語であれパーリ語であれ、それで会話することはあり得ないと答えているお坊さんの文章を、最近読んだ。
確かに般若心経や法華経や開経偈などの同じお経を使っていても、台湾や韓国や日本では発音も勤行儀も違うので、一緒にお経をあげることもできないし、ましてやお経の言葉で会話することはできない。
だがテラワーダ仏教におけるパーリ語のお経は、多少の抑揚の違いや国ごとの訛りを別にすれば、内容も勤行の方法も変わらないので、一緒に読経することも可能だし、パーリ語の学習をしているお坊さんの中には経典言語であるパーリ語で会話できる人も珍しくない。私自身は話せないけれど、テラワーダ僧経験があると言うと、パーリ語で話しませんかと言われることもたまにある。
そんなわけでお経は世界の仏教徒の共通言語になり得ます、もしもあなたがパーリ語を話せるならば!!