2008年は7月18日が上座部仏教の安居(あんご)入りだ。安居とはブッダの時代から続く雨期の定住の事で、この日から3ヶ月間、僧侶は一つの寺に住んで遍歴せず、外出・外泊は厳しく制限される。一時出家者が増え、寺によっては特別な修行プログラムが組まれることもある。
お坊さんになってからの年数の事を法臘(ほうろう)と言うが、これは過ごした安居の回数を指し、お坊さんは年齢や出家以前の経歴に関わらず、法臘の長い方が上位とされる。私がタイで修行中、一時出家のタイ人たちに日本での職業を聞かれ、日本でもお坊さんだった、パンサー(安居・法臘を表わすタイ語)は何年だと答えたら感心されたことがある。比べるのはおこがましいが、道元が宋のお寺で外国人だからということで末席に座らされた時、法臘の順に並ぶべきだと主張して認められた逸話を思い出した。
中国経由の大乗仏教では陰暦の4月15日から7月15日までが安居だが、これは東アジアの雨期に合わせたものだろうか。安居明けがお盆の行事の由来とも結びついており、雨安居(うあんご)、夏安居(げあんご)、夏行(げぎょう)など、安居を表わす言葉もたくさんある。日本でも禅宗では日常的に使うし、天台宗では回峰行者の葛川夏安居という行事に名残を留めている。
「奥の細道」に見える「しばらくは 滝に籠るや 夏の初(げのはじめ)」という芭蕉の句は、ちょうど4月の初め、安居入りの頃に滝の裏に詣でたから、自分もしばしの籠り行だと洒落てみたものだ。
「奥の細道」に見える「しばらくは 滝に籠るや 夏の初(げのはじめ)」という芭蕉の句は、ちょうど4月の初め、安居入りの頃に滝の裏に詣でたから、自分もしばしの籠り行だと洒落てみたものだ。
ブッダの在世時代に、既に安居の習慣を持っていたジャイナ教などの他宗教から、仏教は虫の多い雨期に遍歴修行して虫を踏み殺しているではないかという批判を受けて仏教でも安居するようという由来話があるのだけれど、実際のところは雨期に出歩くのは大変だから定住するようになったというだけのことではなかろうかと思う。熱帯の上座部仏教諸国に暮らしたことのある人ならば、酷暑期を過ぎて徐々に雨の降る日が増え出し、やがて本格的な雨期が到来すると共に安居が始まることを、身をもって知っているに違いない。
※パンサー…雨期・安居を表わすパーリ語「ワッサ」のタイ語訛り。安居入りをカオ・パンサー、安居明けをオーク・パンサーと言う。