ブッダが悟りを開いた場所であるブッダガヤは、インドの仏跡の中でも最高の聖地で、世界中の仏教徒の憧れの土地だ。だから、例えば他の仏跡であるラージギルのツーリストバンガローにも、あるいは仏教徒が経営するダージリンのゲストハウスにも、みなブッダガヤの大塔の写真が掲げてあるのだし、ダライ・ラマも始終ここを訪れるのだ。旅行者の中には来てみたら意外と俗悪な観光地でがっかりしたという人もあるが、これほどお寺やお坊さんがいっぱいで、歩いているだけで仏教に触れる機縁となる個性的な町は、他にはバンコクと京都ぐらいしか思いつかない。
バンコクのように空気が独特で、町が楽しく、食べ物がおいしく、お寺とお坊さんがいっぱいで、歩いているだけで経行(きんひん)しているかのように瞑想的な気分になれる日本の街が京都だ。熱帯のチャオプラヤー川と涼しげな鴨川は対照的ながらどちらもさわやかで、ブッダガヤ同様、西洋人を初めとする外国人旅行者が町中を歩いている。
2008年5月13日付の京都新聞によれば、米国の口コミ旅行サイト最大手の「トリップ・アドバイザー」によるアジアの都市の人気投票で、京都が一位に選ばれたそうだ。また日本国内から京都を訪れるのは東京からの旅行者が一番多いそうだが、全国誌であれ、関西誌であれ、近頃では毎月どこかで京都特集が組まれている。
京都のお寺ではバンコクやブッダガヤのように、英語による坐禅教室もたくさん開かれている。50メートル程ごとにお地蔵さんの祠があり、食べ物屋さんや老舗の和菓子屋さんにはきっと比叡山の阿闍梨さんのお牘(ふだ)や、禅の老師の色紙が飾られている。毎年6月には京都切り廻りといって回峰行者が列をなして京都の町を巡ってくる。
市(いち)と書いて市(まち)と読むように、元々は人々が交易のために集まった場所が、人間の住みやすさを加味しながら発展して都市ができたのだろう。人間が思い描いた社会を形にしたものが都市であるならば、確かに都市には人間の欲や煩悩を具現化した側面もあるかも知れないが、一方で人間の慈悲や智恵が形を成した町の形も有り得るはずだ。人類と生き物が生息する地球上のすべての場所が、慈愛に満ちた瞑想都市になればいいのにと思う。
「京都切り廻り」…千日回峰行者は九百日目の年に京都大廻りと言って、毎日比叡山から京都市中を歩くのだが、百日回峰の行者さんたちは七十五日目に切り廻りを行う。コースは大廻りとほぼ同じ。京都切り廻りについては「別冊太陽 天台宗開宗千二百年記念 比叡山 日本仏教の母山」が大変詳しい。
※2009年4月18日付ブログ「京都大廻り…コースと日程」も、是非ご覧下さい!!