俗に遍路は一笠一杖と言うが、歩き慣れてくる頃、そのスタイルにとらわれることも徐々に少なくなる。
… 杖と笠 捨ててぞ晴れて 無一物
お寺ではきれいに着ていなければならない衣も、やがて木の枝に引っ掛け、雨や泥に汚れてくる。元々、袈裟とはボロ布を縫い合わせた修行用の衣、糞掃衣(ふんぞうえ)だったから、それで良いのかも知れない。
… 一張羅 否応なしに 糞掃衣
四国ほど歩く旅人に優しい土地はない。時に道しるべが多すぎて判断に迷うことすらある程だ。
… 道しるべ 助けられたり 騙されたり
宿にしても、遍路を泊め慣れた旅館や歩き遍路を無料で泊めてくれる遍路宿もあれば、出会った個人が自宅に泊めて下さることもある。どこで野宿をしていても、遍路なら不審がられることもない。毎日どこまで歩いてどこで泊まるか、野宿するならどこでするかが心を悩ますが、やがてそれも仏縁のままで良いと思えてくる。
… 宿借るも 貸すも貸さぬも 南無大師
弘法大師ですら民家で宿を断られ、真冬に橋の下で野宿したら、一夜が十夜にも感じられたという十夜ケ橋(とやがばし)という霊場が、今も遍路コースの途中に残っている。ということは昔の行脚僧は野宿より宿を借りるのが普通だったのだろう。どうぞ車に乗って下さいとお接待を申し出られた歩き遍路が乗るか断わるかという問題は意見の別れるところだが、お大師さんが馬に乗って下さいと言われたら、きっと断わらなかったに違いない。
西行法師は大阪の江口と言う遊里で宿を断わられ、「世の中を 厭うまでこそ 難からめ 仮の宿りを 厭う君かな」(この世は所詮、仮の宿。世捨て人になって出家することに比べたら宿を貸すなんて簡単でしょう)と詠みかけたところ、江口の君という遊女は即座に「世を厭う 人とし聞かば 仮の宿に 心とむなと 思うばかりぞ」(世を捨てたお坊さまが、仮の宿に過ぎない俗世間に執着するなと思っただけです)と返した。一晩、西行と歌道について語り明かしたこの遊女は、普賢菩薩の化身であったという。
西行法師は大阪の江口と言う遊里で宿を断わられ、「世の中を 厭うまでこそ 難からめ 仮の宿りを 厭う君かな」(この世は所詮、仮の宿。世捨て人になって出家することに比べたら宿を貸すなんて簡単でしょう)と詠みかけたところ、江口の君という遊女は即座に「世を厭う 人とし聞かば 仮の宿に 心とむなと 思うばかりぞ」(世を捨てたお坊さまが、仮の宿に過ぎない俗世間に執着するなと思っただけです)と返した。一晩、西行と歌道について語り明かしたこの遊女は、普賢菩薩の化身であったという。
… 仮の宿に 心とむなと 草枕