アジアの乞食と托鉢 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 先日、バンコクの屋台で、ヤワラート(中華街)の中華僧が托鉢に回ってきた。午前にしか托鉢できないテラワーダのお坊さんと違って昼過ぎに、日本と同じ形のお金しか入れられない小さな鉢で托鉢していたが、タンブン好きのタイ人たちは誰も喜捨していなかった。

 お坊さんを指す比丘(ビク)という言葉は「乞う者」という意味で、漢訳されて乞食(こつじき)となり、これが乞食(こじき)という言葉の基にもなった。

 インドには今も乞食のカーストがあるが、日本の乞食も江戸時代には徳川の封建体制によって組織化されていた。1970年代ぐらいまでは大阪の街中にも乞食がいたし、子供でも「ルンペン」という言葉や「右や左の旦那さま」というフレーズを知っていた。  

 その後は放送禁止用語にもなったりして、乞食という言葉すら余り耳にしなくなったが、1990年代以降には不況のあおりでまた増え始めた。最近は自分がリストラされた経緯を掲げたり、自分ではなくて連れている犬のために恵んでくれといった、理屈っぽい乞食が多くなったように思う。

 乞食行為は日本の軽犯罪法に触れるため、仏教諸宗の各本山は托鉢許可証を出している。乞食(こじき)行為をしても良いという法的なお墨付きではなく、あくまで修行としての乞食(こつじき)であることを、本山が一筆書いてくれた証明書に過ぎないから、本物の托鉢僧の中にはこれを持たないという人や、持っていたけれど期限が切れたなどという人も結構多い。要は自分がなぜ修行のために托鉢しなければならないかを、はっきりと弁えていれば良い訳だ。

 反対に日本ではニセ托鉢僧というのも結構いて、中には組織的なものもあるそうだが、1997年、ベトナムのホーチミンでも、ニセ托鉢僧の横行に手を焼いて、仏教会が市内での托鉢を禁止したことがある。

 インド・ブッダガヤの大塔周辺では、昔から乞食の集団やサドゥーの風体をした乞食に混じってインド人比丘の物乞いが多い。日本では現代インドの仏教についての政治的、社会的なレポートが多いが、彼らの修行実態についてはあまり触れられていない。一部とは言え、正式に戒律を受けて得度したかどうかも怪しいようなお坊さんもいて、各聖地仏跡でたむろしている。

 中には普通の家庭を持っていて、物乞いの時だけ衣を着ている坊主もいるそうだ、という話をブッダガヤの日本寺でしてみたら、駐在僧のT師が笑って曰く、「結婚して子供がいて家では私服を着ている…日本のお坊さんなら普通のことなんですけどねえ」。

 あ、なるほど。じゃあ、純粋に乞食(こつじき)で生計を立てている分、日本のお坊さんより、インドの僧形乞食の方が、むしろ本来の比丘に近いと言えるかな。

 でも裕福なタイ人のお坊さんたちが施食と称して大塔の前で品物をばらまき、それをインドの乞食たちと争うように、現地のインド人比丘たちが拾い漁るのを見た時は、何ともいたたまれないない気持ちになったものだ。





「乞食の組織」…2003年9月25日の朝日新聞に、バンコクの乞食はほとんどがカンボジア人で、中には犯罪組織に抱えられている者もおり、APECを前に一斉退去させるという記事が載っていた。

「1990年代以降」…ちょうどその頃、大阪一心寺の住職が、乞食が托鉢僧と共に門前に増え出したことを、新聞のコラムに書いておられた。実際、日本の庵主さんや韓国のお坊さんが大勢の乞食と一緒に並ぶ様は壮観だったのだが、その後一心寺では、門前におけるすべての立ち居行為を禁止された。

「托鉢許可証」…玄侑宗久師が禅宗の托鉢免許証について書いておられるのを読んだことがある。天台宗では托鉢修行証と言い、自分から申請して交付後、二年間有効。

「ニセ托鉢僧」…江戸時代から明治にかけてもニセ托鉢僧は少なくなかったことが、桂米朝師の落語などからも伺える。乞食坊主、願人坊主などという名でしばしば登場するが、特に「悟り坊主」という小咄は乞食坊主が主人公。四天王寺周辺に乞食、托鉢僧が多いことは今も昔も変わらないようだ。


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