アジアの挨拶 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 インドやネパールの「ナマステ」「ナマスカール」が礼拝や帰依を表す「ナマス」から来ていて、「南無」と同じ語源であることはよく知られている。

 「こんにちは」を表すタイの「サワディー」は「良い吉祥を」、チベットの「タシデレ」は「吉祥あれ」、スリランカの「アーユヴォーワン」は「ご長命を」の意味で、どれも相手に幸いあれと願う良い言葉だ。

 「サワディー」は1930年代に新しく作られた挨拶言葉で、それ以外には「どちらまで?」、「ごはん食べた?」などの他に、「サバイディールー」(お元気ですか)という言葉がある。言語が近いラオスの挨拶も同じ意味を表す「サバイディーボー」だが、どちらも「サバーイ」のニュアンスがわかる人には、何とも心地よい挨拶だ。

 言語が人や社会、文化を規定するという考え方があるが、例えば単純に言って温厚な言葉を話す民族は温厚だし、荒い言葉を話す民族は気が強い。タイ人の気質を表す言葉として有名な「チャイディー」「チャイイェン」(良い心、静かな心)、「タンブン」「ダイブン」(徳を積めば、徳が還る)、「サバーイ」「サヌック」「マイペンライ」(気持ちいい、楽しい、気にしない)などは、この国ののどかな人柄をよく表している。
 
 仏教では身口意(しんくい)の三業と言って、良い行い、良い言葉、良い心を心がける。良い言葉、温厚な言葉を口にするように気をつけていれば、自ずから心も静まるものだ。では日本語の挨拶で、皆に幸せな心をもたらすような、良い言葉、良い挨拶があるだろうか?

 落語家の故・桂枝雀師は揮毫を頼まれると「万事機嫌よく」と書いていたそうだ。関西の某番組に出演する芸能記者は、タレントの情報を求められた時に、「機嫌よう暮らしてはるんとちゃいますか」と答えては、芸能記者のコメントではないと笑われているが、確かに機嫌よく暮らすことこそが何よりも求むべき境地であるならば、近頃は余り使われない、「ごきげんよう」という日本語の挨拶は、とても良い言葉なのではなかろうか。