ガンディーは仏教徒??ガンジス河は仏跡??ブッダはヴィシュヌ神?? | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

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 スリランカ人のお坊さんとインドについて話している時、「ガンディーはヒンドゥー教徒だから」と言われたことがある。ガンディーは日本の仏教者にも人気が高く、お寺の仏跡巡拝団がデリーのガンディー廟に立ち寄ることも珍しくない。お釈迦様を生んだインドだからこそ、ガンディーのような聖者が生まれた、などという情緒的な意見はともかく、その思想に共鳴し、インド各地に日本山妙法寺を開く際にガンディーと親交を深めた藤井日達師のようなお坊さんもいるわけだが、とりあえずガンディーがヒンドゥーであることは、覚えておいて損はない。

 ヴァラナシのガンジス河にも日本の巡拝団は必ず立ち寄るが、感動のあまり沐浴を見ながら般若心経をあげた、などという情緒的な台詞はともかく、タイや韓国の巡拝団もヴァラナシを訪れるから、決してこれは日本人だけの特徴ではないのだが、ガンガーがヒンドゥーの聖地であることは、覚えておいて損はない。

 ヒンドゥーではブッダはヴィシュヌ神の9番目の化身であるとされている。もともとは仏教に対する悪意を基にした説だったが、現在、一般的なインド人には、ブッダもヴィシュヌも同じだ、ブッダはインドが生んだ偉大な聖者だ、ぐらいの大雑把な理解をしている人が多い。決してイスラム教をはじめとする他宗教の寺院を詣でることのないインド人でもブッダガヤをはじめとするする仏教聖地の寺院にはお参りする所以だが、インドの新仏教徒のようにブッダをヴィシュヌと同一視する考えを激しく憎む人たちもいるということは覚えておいて損はない。ヒンドゥーと仏教が仲良しなのは悪くないのだけれど、日本人の中にも、「見仏記3 海外篇」のみうらじゅん氏のように、ラクシュミ・ナラヤン寺院に祀られたブッダを見て複雑な思いになる人もいる。

 ヒンドゥー教徒は知らないと思うが、大乗仏教では反対に、インドの神々が仏法を信じ、守護していると考える。これは多分、どっちが偉いか、という問題ではなくて、ブッダの教えは普遍的な真理だから神も人も含めたこの世界すべてに共通して作用している、ということを表しているのだと理解すべきだろう。ヴァラナシで般若心経を唱えるとしたら、それはそこで感じた神々しい何物かを礼拝するためではなく、仏法がガンガーにおいてすら、普遍的な真理として存在していることを、再確認するためでなければならない。自分がブッダの教え、仏法を奉じているという確信があれば、きっとインドのどこにいてもたじろぐことなく、楽しい旅が出来るに違いない。