諸国行脚の最中に、ある大きな寺に立ち寄った。坊主たちは忙しく働き、参拝者は引きも切らず境内にひしめいていた。しかし、その平たい石のそばだけは人もなく、日当たりも良かったので、私はそこで横になり、そしてこんな夢を見た。
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煩悩寺は海にも山にも近い。近所の人は昼寝寺と呼んでいる。本堂は冬暖かく、夏は風通し良く、誠に昼寝に適している。境内には小さいながら、天然の温泉を備えた宿坊もある。庭には昼寝石と呼ばれるつるつるした平べったい石がいくつもあり、自由に昼寝ができる。
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煩悩寺の宿坊では住職手製の精進料理が味わえる。住職は以前に熱帯アジアの国々で修行したことがあり、現地の材料だけを使って日本の味を再現した食事を色々と考えて、現地の人たちに指導したこともあるそうだ。
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住職がインドで修行していた時、訪ねて来る日本のお坊さんと言えば、インドに来た回数を、まるで行を達成した数のように自慢したり、名刺に入竺沙門と刷り込んでいるような、玄奘三蔵が腰を抜かしそうなお馬鹿さんばかりだったそうだ。今の時代なら金さえあれば子供でもインドに行ける、ブッダが悟りを開いたからと言って同じ菩提樹の下で修行しなくても、ブッダの教えが普遍的な真理ならば、東京でもニューヨークでも北京でも、どこででも悟りは開けるはずだと、住職はいつも言っている。
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この寺には日本に住んでいるアジア人もたくさんやって来る。アジアの人々は昼寝にかけても、瞑想にかけても日本人より遥かに優れているから、率先して煩悩寺にやって来るわけだ。
そう、煩悩寺では昼寝の他に瞑想も行われていた。ある時、海外でも修行を積んだ禅僧がやって来て、ここではどんな坐禅法を指導していますかと聞いた。禅僧は坐禅を瞑想と呼ぶことを嫌う。そこで住職が、昼寝と同じでただ気持ちよく坐禅しています、と答えると、禅僧は、まあ坐っていることそのものが悟りであり、悟りに執着する坐禅は邪道ですがね、と言ってにやりと笑ったから、住職は「禅坊主 袈裟まで憎い 奴ばかり」などと余計なことは言わずに、にこりと笑って合掌した。善哉、善哉。
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煩悩寺のご本尊は廃仏毀釈の時に風呂の焚き付けにされたという。ある時、一人の旅行者が、現在のご本尊はどなたですかと質問した。住職は、本尊は円空作の招き猫だと答え、美濃の円空と飛騨の匠の関連に触れ、左甚五郎も元は飛騨の甚五郎と呼ばれた匠の一人だったから、甚五郎の眠り猫と円空の招き猫には深いつながりがあるのだ、猫が本尊とされたのは、一切衆生悉有仏性、ブッダの涅槃入りに間に合わなかったとされる猫でさえ、やがては悟りを開くことを表しているのだが、惜しいかな、次のご開帳は百年後だと言っていたが、もちろんこれは嘘八百だ。お厨子の中が空っぽで、何も入っていないことなど、この旅人が知る由もない。
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そこまで夢を見た時に、困りますねえ、境内で昼寝なんかしてもらっちゃあ、という坊主の声で目が覚めた。私は立ち上がると詫びを述べ、大伽藍を後にした。
おしまい。