坊主小咄…托鉢宇宙船 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

     1
 ある日、坊主惑星に宇宙托鉢僧がやって来た。運河が無尽に走るバンコクの川沿いの家々に、小舟を漕いだ托鉢僧が来るように、一人乗りの宇宙船を操って彼はやって来る。ハッチを開けるとやわらかい衣をなびかせて、物も言わずにただ家々を巡る。食べ物を差し出す人もいる。一夜の宿を申し出る人もいる。そして皆は一様に彼の話を聞きたがる。
     2
 探偵は最後の旅に出た。人類がアフリカで発祥し地球上に広がる中で、インドでは仏教が発生した。仏教は各地に伝わる中で、妻帯しない出家者の集団を大量に生み、種の保存という人類の本能に大きく逆らった。人類の生物学的進化において、仏教の伝播と僧侶の増加にどんな意味があるのか? 今度の旅はこの謎を解くための旅だった。
     3
 宇宙托鉢僧が行脚を始めてから随分の日が経った。日を追うごとに人々は解脱の度合いを深め、仏法が広まるほど逆に出家率が低くなることに彼は気がついた。坊主惑星が良い例だ。僧侶だけの修行惑星であったこの星では、僧侶に欠員が生じると新たに在家の信者が入植したが、最初はみな解脱への能率を求めて出家した。しかし人々の解脱の具合が深まる程に、もはや出家の体裁を必要としなくなった。惑星の名前と裏腹に、現在この星に出家者はいない。
     4
 探偵は考えた。悟りを開くには出家するに越した事はないとブッダは言う。では仏法が十分に広まって人類全部が出家したら、人類という種は絶えるのか?
 仏教は形を変えつつ広まった。僧侶集団とは遺伝子が種を保存するように、次世代に仏法を伝えるシステムだ。ある時はテラワーダの黄色い衣に、ある時はラマの赤い衣に、また東アジアの黒や茶色やねずみ色の衣に姿を変えて、仏法は伝わった。悪名高い日本の僧侶の世襲制も、仏法という遺伝子が滅ぶよりは伝わることを良しとして、自身の存続を最優先した結果かも知れない。仏法遺伝子にとって、地球上の全生命の幸福の完成は、剃髪や袈裟が生き延びることよりも優先順位が高かったのだ。
     5
 空の彼方から托鉢宇宙船が帰って来た。地球の人々は歓喜と共に空を見た。それは一つの証だった。人類は進化する。仏法はあまねく伝わり、人々は悟りに満ちて、もはや僧侶も寺院もいらない。人類みなに智慧が生じたがために、科学技術は自然に逆らわず、動植物を含めたすべての生命は尊重され、生態系は守られた。銀河系最後の僧侶となった宇宙托鉢僧の還俗式を以って、人類は新しい階梯を昇るのだ。
     6
 探偵は頭陀袋ひとつで宇宙への旅に出た。食べ物を差し出す人もいる。一夜の宿を申し出る人もいる。そして皆は一様に彼の話を聞きたがる。
 宇宙托鉢僧となった彼は考えた。仏法が広まるということは、仏教という一宗教が広まることを言うのではなく、すべての人類が執着を離れ、他の生命に慈しみを持つようになることを言うのだ。それを見届けることができた時、自分は地球に戻って還俗しよう。そしてその日が来るのは、そんなに遠い未来のことではないはずだ。
                                          おしまい。