食品偽装が相次ぐ今日この頃、卵を産めなくなった鶏を「廃鶏」と呼ぶ業界の感受性に違和感を覚えた人は多いと思う。もちろん「ニワトリさん」と呼んだからと言って問題は解決しない。そもそも肉食は自然界では当然のことなのだろうか? だとしたら一部の宗教が肉食を禁じる意味は何なのだろうか?
上座部仏教(テーラワーダ仏教)のお坊さんは肉を食べる。厳密には食べても良い肉の細かい規定が定められているものの、基本的に托鉢・お供養によって食事を得る慣わしだから、供養されたものは全ていただくという考えだ。ただし上座部僧には正午から翌日の夜明けまで食事をしてはいけないという、厳しい戒律がある。
大乗仏教では肉食を禁じている。しかし中国の精進料理には植物性の材料で肉の味を再現したものがたくさんある。本当は肉が食べたいのに修行のために我慢している、ということなら問題があるが、これは単なる遊び心と取るべきだろう。とりあえず台湾の精進料理(素食)はたいへんに美味しい。
ちなみにチベット系仏教は大乗仏教だが菜食ではないから、「日本以外の大乗仏教は上座部仏教と違って肉食をしない」という表現は、厳密に言うと間違いだ。
日本の場合、禅宗などの伝統的な精進料理は内外で高く評価されているが、禅僧を含む日本仏教界全体を見渡せば菜食主義者はごく僅かだ。とある宗派はイタリアン精進料理レシピなるものを出しておられるが、その教義に照らしてみても、いまいち意味がわからない。
結局のところ食に執着してはならない、他の生命を慈しまねばならないという二点が、仏教徒としては肝心だ。生物学的には当然のことであった肉食を仏教の智慧で乗り越えることによって、仏教徒は世界の食品事情を変えて行かなければならない。
※ ホームページ「アジアのお坊さん」の「アジアの精進料理」もご覧ください!
参考文献
「精進料理入門」阿部慈園(大法輪閣)※ブッダ時代の食事から日本の精進料理までを解説した貴重な本。
「アジア菜食紀行」森枝卓士(講談社現代新書)
「台湾素食」小道迷子(双葉社)