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実験


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スキー場復活への道(1)

今年は2月までで4回(のべ8日間)スキーにいった。

スノボーを含め、本当に客の入りが年々悪くなっているように感じる。

ゴンドラの中でも、「すいてるよねー」という会話を良く聞く。


景気悪化はもちろんのこと、20代の人たちが車の車の所有率が減少しているとか、道具をそろえるとかなりの出費になり、とてもそんな投資はできないとか、他のレクリエーションが増加したとかいろいろと理由はあるのだろうが、大好きなスキー場が運営を継続できるために何が必要なのか、考えてみたいと思う。


経済といういみでは、サービス業を中心に立て直していかないと日本のGDP成長はないと思うし、地方経済の活性化という意味でも重要なので、経済対策として、余暇需要の創出は政府としても考えるべきことだと思う。


上村愛子やショーン・ホワイトなど、かっこいいスキーヤー、スノーボーダーがオリンピックの前後で注目を集めたが、そもそも若い人たちはテレビ離れが進んでいるし。。。


ジョギングやマラソン人口は急速に増加しているようだし、少し時間があればジムに行くなど、やはり近場で気軽にできるスポーツへシフトしていくのはいたしかたないのだろう。

敢えて、時間をかけて(少なくとも3時間)、寒い思いをして、お金をかけて行うスポーツは、それは人気出ないよなー。


アップルのサポートサイト

アップルのiPodのイアフォンの音漏れが激しくなり、修理に出そうと思い、アップルのオンラインサポートを利用しようとしたが、入力が先に進まず、苦労に苦労を重ね、やっとのことで「Submit!」と思ったら、「I'm sorry・・・」の冷酷な文字が。

文字の入力がスムーズにできず、画面も切り替わらずでほとんど嫌がらせとしか思えないサイトだ。

かかった時間は、なんと、1.5時間。


それでも気を取り直して、もう一度最初からチャレンジ。

結果、若干短縮して1.2時間ぐらいで完了。 「Submit!」と思いきや、また、「I'm sorry・・・」。

久しぶりに、怒りにキーボードを打つ手が震えた。


そんなに故障修理を受け付けたくないのだろうか??

普天間基地移設問題

基地の移設場所についてはいろいろな視点から、いろいろな意見があるとは思うが、それぞれの立場で、皆が言いたいことを言っている状況で、果たして5月までに一定の結論を出せるのだろうか?


無理やり、何らかの結論を持って、米国と交渉に入るつもりなのかもしれないが、この一件を見ていても、やはりフレームワークの欠如が致命的のように感じる。


そもそも、一定の期間で、ベターな結論を出そうとすれば、合理的な結論に至るために必要な参加メンバーの選定、会議隊の設置、議論のプロセスをしっかりプランニングしない限り無理なことは明白。

そのうえで、すべての議論をしっかり情報開示してほしい。

マスコミは、その開示された情報を正しく整理し、伝えることが使命のはず。


どういうプロセスで議論が進んでいるのか、まったく見えてこないが、さまざまな思惑を持つ人たちが、それぞれ勝手なことを言っている状況にはほとほとうんざりする。

マスコミは、それそれの勝手な言い分を垂れ流し。


民主党がダメとか、自民党がだらしないとか、官僚が悪いとか、もうどうでもいいという感じ。

まともな議論ができないこの日本という国は、この先、5年、10年、そして50年、100年と本当に生き残っていけるのだろうか?寒いものを感じる。

Hotな場所に身をおくということ

以前、大先輩の方に、

「若いうちは、世の中を観察して、いちばんHotな場所に身をおきないさい。そうすれば、多くの情報と多くのチャンスが目の前を通過するから、自分の目で取捨選択して、いちばんいいものをゲットできれば君も大成功できるよ。」と。


あれから約8年、今になって振り返ると、あの時の言葉は非常にありがたい言葉だったと思う。

Hotな場所にいることで、人との出会いが多く、その中でいろいろな情報やチャンスが訪れてくる。

多くの案件に携わることで、物事を分析し、判断し、見極める目が養われ、また直観力も付いてきたと思う。


もとは金融の世界でキャリアをスタートしたが、ITに魅せられ、片足をITに突っ込み、気付いたら投資の世界へ。

その後、再生ビジネスで少しは世の中に貢献したのち、今は軸足を農業・食品と環境に移していこうと考えている。


先進主要国での人々の考え方の大きな転換は、大きな流れとして後戻りすることはないように感じられ、地球環境とどう向き合って、生き続けていくのか、生活における量から質への転換を前提に、企業としてどう事業に取り組んでいくべきなのかなど、とても大きいテーマの中で、「農業・食品と環境」というHotな場所に身を置いていこうと思う。


苦労は多いが、そこでは大きなビジネスチャンスと社会貢献が両立できるのではないかと考える。

ビジネスと金儲けの違い

ビジネスと金儲けの違いは何だろうか?

人に商品やサービスを提供して対価を得て、利益をあげることは同じであり

一見、両者に差はないと考えている人は多い。


ただ、当たり前のことだけれど、


ビジネスには、一定の責任が伴うものだし、なにがしかの社会性が要求される。

人(法人を含む)に、商品やサービスを提供した場合、品質保証、製造物責任、コンプライアンスその他さまざまな責任が提供者側に要求され、当然ながらサービスの継続性が強く求められる。

また、社会性という視点では、ビジネスを通じて社会にどう貢献していくのかといった社会的責任や社会的貢献といったことが求められるようになりつつある。

そういった責任も含めて、評価を得て、消費者あるいはサービスの需要者が継続的に対価を払ってくれる。

また、そういう活動を通じて、社会全体の付加価値の創造に貢献することになる。


一方、金儲けは、基本的に自分だけ儲けられれば良いという利己主義の極端な形であり、基本的には付加価値の創造とは無縁で、他人の財貨を奪い取る活動といえる。

極端な例が、詐欺行為であったり産地偽装であったり、もう少しビジネスに近いところでいえば、

多くのユーザーがついているサービスで、それらのユーザーからある程度のお金を徴収してきていたのに

会社の都合で一方的にサービスを打ち切ってしまうようなケースも、結果としてその経営者はビジネスではなく

金儲けを行っていたことになるのだろう。


ビジネスと金儲けは紙一重のところがあるが、その経営者の資質によるところが大きい。

自分では、ビジネスマンだと思っていても、実は短期的にブームに乗った金儲けをしているだけの人というのが

実は結構いるなーと感じる。

女性の社会進出と労働環境

働く女性が当たり前のこととなり、能力を発揮して活躍する女性が増加していることは社会全体にとっても非常に良いことであるし、私の周りにも有能な女性が本当に増えてきたと実感する。


一方で、日本経済はこの20年成長が鈍化し、かつ企業が海外事業にシフトするなか、日本国内の雇用は増えるどころか減る状況にあるのだと思う。また、製造業からサービス産業に軸足がシフトするなか、男女の差別の低い職業のシェアが増加している中、失業する男性が増え、あるいは賃金がカットされる男性社員が増えるのは致し方ないことなのだろう。


恐らく、この流れは止めることはできないし、また新しい産業の創出と声高に叫んだとしても、新しい産業で必要とされる人材のスペックも、これまでの高度経済成長期からバブルに至るまでに必要とされ、経済の中心にいた社員像とは大きくことなるものになると思う。


これだけ失業や雇用の問題が大きくなってくれば、政府としては当然に雇用対策のための政策をたとえ一時しのぎであったとしても導入していかないといけないのだろうが、まず大前提として、国民自身も上記の労働市場の需給を考えたとき、今後給与水準が元に戻ることは難しいとか、何らかの技能ないし専門性を持っていないと安定し、あるいは条件の良い職に就くことが難しいということを理解しなければいけないだろう。


また、政府もそういったコンセンサスを早く形成すると同時に、例えば農業分野、医療・福祉分野への労働力のシフトなど、第二次産業から第一次産業と第三次産業に労働力をシフトする基本構想を早急にまとめるべきだし、また、同時にぎすぎすと働かなくても、安定して生活できるような社会の仕組みに早くシフトしていくよう舵をきらないと手遅れになってしまうだろう。

制約とルール

人間は、いろいろな制約やルールの中で生きていくことになる。

諸条件が異なる多数の人々の共同体の中では一定の制約やルールが必要というのは

なんとなくわかったような気もするが、それだけであろうか?


例えば、無人島あるいは誰もいない山奥で自給自足する場合、人間はどうなるのだろうか?

自然という根本的な制約の中で、きっと、自分自身で一定のルールをつくって、日々生活するのだろう。

そこでは、細かくて、厳密なきまりというものではなく、とても緩やかだが、ポイントを押さえた自分自身の

きまりのようなものではないかと想像できる。 こうなったら、こうしようとか、物事をうまく進めるための自分なりの経験則のようなものだと思う。


翻って、自分の周りを見てみると、今の日本は、とても中途半端な状況にあるのかもしれない。


世の中の大きな流れとして、概念とかフレームワークをしっかり共有したうえで、それ以上の細かいルール

(はしの上げ下げ)は、自分たちで考えようという、一定の倫理観を前提としたような社会のルールの在り方に変わってきていると思う。

物事の本質や考え方については、しっかりと共有していれば、最低限、やってはいけないことぐらいを決めておけば、あとは成熟した人たちの倫理観があれば、その枠組みの中で物事が解決されていくだろうという仮説があると思う。

細かい部分は、皆が経験を積む中で、コンセンサスが構築されるということなのだろう。


もともと争いごとが起きることを前提に、ガチガチにルールを決めておこうとすると、ルールを悪用する人も出てくれば、また、ルールを自分に有利なように組み立てることにより、利益を得ようとする人が出てくることになる。

米国およびそれを模倣した日本が行き詰ってきている一つの原因がここにあるのかもしれない。


最近、IFRSを勉強する機会が多いが、世界共通で一つのルールを決めて、皆で利益を享受しようと考えたとき、上記のような一見あいまいだけれども、成熟した人たちの人間関係の中で、そのあいまいさが逆にうまく機能するのではないかという、ある意味実験的な試みなのではないかと感じた。

循環取引はよくないこと。だけど。

昨日、ニイウスの循環取引の記事が久しぶりに話題になっていた。

かなり大きな売上と利益を循環取引で積み上げていたようで、上場企業としては

大きな問題である。


架空取引としての循環取引は、許されないことと思うが、グレーゾーンの循環取引は実は

世の中に多く存在しているように思う。


数年前は、不動産ファンドの間で投資案件が転がされていたケースもよく見受けられていたし、

サブプライムローンの破たんに端を発したリーマンショックにおいて、米国の金融機関が多額の

損失を被った信用創造による自己取引も見方を変えると循環取引ともとれるものが結構あると思う。


確かにリスクが移転しているため、循環取引とは言えないのかもしれないが、複数の当事者ないし

関与者の間で見せかけないし架空の信用が積み上がり、最後にババを引いた人とのことで

リスクが顕在化し、一気に全体が崩壊するという流れは、まさに循環取引なのだろう。


ベンチャーキャピタルは金融業なのだろうか?

今日は、朝から、大手ベンチャーキャピタル 3社の偉い人たちとお会いした。

日本の大手VCでは、銀行、証券会社出身の方が中枢を占めているケースがほとんどだが、

金融の世界で一本筋の通った経験を積まれてきた方々は、やはり学ぶところが多いと感じた。

VCは投資業、特にPEとしてオルタナティブ投資として位置づけられるが、実際にベンチャー企業への

投資、ベンチャー企業の経営に携わったことがある人であれば理解されると思うが、

VCを投資業として考えると、きっとトータルの投資パフォーマンスはマイナスになるのは明らかだと思う。


ベンチャー企業への投資は、インナーつまり経営の内部に深く関与するか、深く知り売る立場にならない限り

成功できないであろう。

ベンチャー企業は、技術においても経営ノウハウにおいても、また人材においても外から見ただけでは

決して理解できるようなものではない。

また、日々、経営意思決定の連続であり、そのスピードこそがベンチャー企業が成功する一つの重要な

要素でもある。

ただ、単に、意思決定のスピードが速いということではなく、意思決定を行うだけの十分な情報を

どれだけ集め、整理できているかということである。


私が知る限り、成功したないし成功しつつあるベンチャー企業では、精緻な事業計画を重要視していない。

精緻な事業計画を描けるようなマーケットで戦っている限り、大成功はありえないからである。

大きなポテンシャルがあり、しかしながら、今後どっちにころぶかわからないような、立ち上がったばかりで

不安定なマーケットだからこそ、大きなチャンスがあるということであり、そのチャンスを

ゲットできるかどうかは、

1.経営陣の経験と能力

2.目標の実現に必要となる技術要素の保有の有無

3.外部を含めた人材リソース

などだと考える。


これを見極めるのがベンチャーキャピタリストであり、これって金融業にカテゴライズするには無理があるのだろう。


ただ、一流の金融マンであれば、ベンチャーキャピタリストになれる可能性は十分にあるのだろう。