地方への遠征がないときは、毎月第三土曜日には京都に宿を取り、昼頃から京都を散歩し、夕方にはぶらりと立ち飲み屋へ。7時を過ぎたころには、五条正面のいつもの日本酒Barへ向かいます。

 実はこの日本酒Barのママ、通称ホッチさんと出会ったのは、翌日の第三日曜日の朝に開催されている滋賀県は浜大津のこだわり朝市でした。この朝市では大津市内にある酒屋さん、小川酒店さんが毎月滋賀県下の酒蔵さんを一社お呼びになり、試飲会をされるのです。

 なんと燗酒の試飲もできて、旨いと思ったお酒は量り売りしてくれ、朝市で販売されている琵琶湖のワカサギのてんぷらやつくだ煮などを購入し、それを肴にお昼ごろまで地元の方々とワイワイと朝呑みができるのです。

 朝から燗酒とてんぷらでいい気分になっているところ、横にいた小柄のお姐さんが京都の日本酒Bar「土と日」のホッチさんでした。

 

 そのホッチさんから伏見の酒蔵の見学に行かないかとのお誘いをいただき、今年の3月29日の土曜日に松本酒造さんへ伺ったのでした。

 京阪電車の伏見桃山駅で下車し、大手筋通りを西へ向かうと左に「冨翁」の北川本家さんがあり、さらに行き濠川を越え東高瀬川の右手前に松本酒造さんが見えます。東高瀬川を超えてさらに西へ行くと「英勲」の齊藤酒造さんがあります。

 伏見の酒蔵のほとんどが、毎年三月に開催される日本酒まつりの時期に蔵開きされるので数蔵は訪問しているのですが、松本酒造さんはここ数年蔵開きをされていおられず、東高瀬川沿いにある蔵の白壁とレンガ煙突がとても美しく気になっていたので勇んで訪ねたのでした。

 松本酒造さんは、かつて“伏水”とも書かれていたほどに、桃山丘陵をくぐった清冽で良質な地下水を求めた酒蔵が密集する京都市伏見区に位置し、蔵の敷地内にて汲み上げた水を、仕込み水としています。

 また、京都の酒屋らしく酒造りの文化、歴史、伝統そして風土を守り、レンガ煙突や大正時代に建設した仕込み蔵、迎賓館としても活用して来た数寄屋普請の万暁院を維持していて、2007年(平成19年)には近代化産業遺産認定、有形文化財登録を受けています。

 8代目当主が残された「蔵は老化しても蔵内は老化させるなかれ」の言葉には、建物としての蔵は経年により老化していくことは避けられないが、その蔵の中で造られる酒や酒を造る人の心は老化させてはならないとの意が込められていて、そのお酒は食文化に寄り添い、究極の食中酒を目指しているそうです。

 蔵見学の際にお会いした松本専務さんに日本酒ピンバッジを提案したところ、ご依頼をいただき、プロデュースをさせていただきました。

 ピンバッジのモデルとなった、桃の滴は、兵庫県東条 特A地区の山田錦を100%使用した純米吟醸酒です。

 フルーティで穏やかな香り、ほどよい酸と苦味が酒米「山田錦」の上質な旨味を引き出し、調和の取れた奥行きのある味わいを楽しめます。

 そうそう、現在の11代目 松本総一郎 蔵元は、松本酒造を継ぐ直前までHondaで広報部に所属し、世界最高峰レースであるF1の魅力を伝えるプロモーション活動に携わっていたそうです。

 それが縁でワールドチャンピオンのネルソン・ピケが蔵に訪問したこともあったっそうで、蔵元としては少し変わった経歴の持ち主ですね。

 Hondaといえば、2011年に急逝された世界的なジッポとピンバッジコレクター板谷金吉さんの事が思い浮かびます。私は残念ながらお会いしたことがないのですが、今年3月に閉じられた東京青山のホンダウェルカムプラザで永く車やバイクのピンバッジをプロデュースされていて、ピンズコレクション展も開催されていたそうです。そこでは「イタヤブルー」といわれたとても素敵な色合いが特徴的に使われていました。彼はピンバッジは単なる装飾品ではなく「記憶を刻み込む」媒体であると考えていたそうで、彼が作ったピンバッジは、美しいだけでなく、彼の哲学や想いを感じ取れるような、心温まるデザインだったと言われていたそうです。

 

 私のプロデュースする日本酒ピンバッジも、手に取った多くの方々の記憶に刻まれるようなものになれば・・・と思うのですが。

 

出典、参考文献・HP

松本酒造HP

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