毎年、夏になるとマスコミは戦争についての特集が始まります。この事を日本では8月ジャーナリズムと呼び、揶揄する人たちもいますが、私は広島・長崎の原爆慰霊の日や終戦記念日の式典、靖国神社参拝での政治家の態度やコメントにより、彼らの歴史観や平和に対する姿勢が赤裸々に見られる事と、この国に住む人々が年に一度は戦争を考える機会があることは、決して悪い事ではないと考えています。
今年の夏、私は四国は愛媛県南宇和島にある紫電改展示館に向かいました。
1978年(昭和53年)愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の海底40mに原型のまま沈んでいる紫電改が地元漁師によって発見されました。この紫電改は、1944年12月に開隊した旧三四三海軍航空隊の二代目の通称剣部隊(つるぎぶたい)に配属された中の一機で、部隊は大戦末期、全国から集めた優秀な搭乗員を擁して、敗色濃厚で劣勢な日本本土防空戦のなかにあって終戦まで戦闘機紫電改を用いて活躍した部隊として知られています。
機体は、1945年(昭和20年)7月、長崎県大村基地を飛び立ち豊後水道上空で交戦した未帰還の6機のうちの一機とみられており、1979年(昭和54年)34年ぶりに愛媛県の手によって引き揚げられ、「日本に現存する唯一の実機」の展示館が建設されたのです。
紫電改の機体は全面フジツボに覆われ、腐食しているものの、原型を保ち、当時の構造を直接見ることができることから、破損箇所は一部補修、防錆塗装を行い、久良湾が望見できる南レク馬瀬山山頂公園にある「紫電改展示館」に永久保存される事になりました。
しかしながら、建設から45年経過した展示館は老朽化が進んでおり、また戦後80年という節目を迎え、残すためだけではなく、未来にこの記憶を伝えるために、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングによって寄付を募り、新展示館は2027年(令和9年)秋頃のオープンを目指して整備計画が進められています。
画像の支援者限定・紫電改オリジナルピンズは、県外の方の寄付者のみに返礼として贈られたものです。
現在の「紫電改展示館」は、この夏、2026年(令和8年)8月末をもって46年間の役割りを終え閉館なることから、その前にどうしても訪れたくなり、向かったのでした。
紫電改は現在、米国に3機が保存されており、日本国内ではこの機が唯一の実機です。
製造は、日本海軍指定工場となった川西航空機株式会社で行われました。
名前の由来は、かつての海軍機の名称が皇紀(神武天皇即位紀元年数)の十の位以下に機種名を組み合わせたものでしたが(零式艦上戦闘機 昭和15年・皇紀2600年の末尾2桁00→0戦闘、99式艦上爆撃機 昭和14年・皇紀2599年の末尾2桁99など)、1943年(昭和18年)以降は、新型機の機種秘匿の為に、戦闘機には気象にちなんだ名称となり、単発の乙機には「雷電」「紫電」「閃電」「震電」が付与されました。「改」は改良型を意味し、「紫電改」の「紫」は、高貴な色ですが、冴えた稲妻や鋭い眼光、速いさまを表します。
展示館内には紫電改の機体だけでなく、当時の三四三海軍航空隊、通称剣部隊(つるぎぶたい)に配属された搭乗員たちの写真が展示されていました。彼らは皆若く、笑顔で、氏名や略歴など記されている文字を目で追っていると、だんだん目が霞み、涙がぽろぽろと零れ落ちてきました。
かれらを美化してはならない、彼らを死に追いやった背景、為政者や世界状況に思いを馳せるなければならないとあらためて心に刻んだ時間でした。
来年の9月には新しい「紫電改展示館」が開館予定です。
重厚な紫電改の機体と、折れ曲がったプロペラには、亡くなった彼らの思いが感じられます。
是非一度訪れてください。
出典・参考文献・HP

















