A君は、日本酒ピンバッジ倶楽部の黎明期を知る一人です。彼と出会ったのは、私が日本酒ピンバッジを初めて手にしてからコレクションをはじめ、そのあまりの少なさに驚き、その後は出会った蔵元に日本酒のピンバッジを作ってほしいとお願いして歩いているときでした。

 その日の場所は、大阪梅田にある浅野日本酒店、お相手は奈良の千代酒造の堺社長でした。「日本酒ピンバッジ、おもしろいね。作ってみよう!」の返事をいただいた時、すかさず横で呑んでいたA君が「出来上がれば、私にもひとつお願いします・・・。」と声をかけてきたので、「え!誰?」と思ったのが出会いでした(笑)。

 

 そして千代酒造「篠峯」田圃ラベルの翠色ピンバッジと純米「櫛羅」のクリアボトルピンバッジができたのです。

https://ameblo.jp/pins-k/entry-12650398737.html?frm=theme

 

 

 その後、2021年春に日本酒ピンバッジ倶楽部が発足し、A君も参加してくれ、2024年の1月の解散まで、日本酒の蔵元を応援する活動を共にしてくれました。

 

 A君は、人当たりがソフトで、酔うとついつい女性に話しかけちゃう前頭葉の発達した知的でスマートなメガネ紳士です。そんな彼が、昨年の秋に「応援したい酒蔵があるのです。」と連絡をくれました。それが、今回の「稲田姫」の稲田本店さんなのでした。

ピンバッジは、山田錦を30%まで磨き醸した「純米大吟醸稲田姫30原酒」のボトルをそのままデザインしました。

 江戸時代1673年より続く稲田本店は、大山山麓の豊かな自然に囲まれた鳥取県米子市にあり、清酒「稲田姫」「トップ水雷」の銘柄があります。

 「いい水」と「いい米」があり、そして酒造りに情熱を傾ける蔵人、杜氏・信木真一は、先代杜氏・折坂薫の「お酒造りとは心が全てである」という想いを引継ぎ酒造りをしており、これらすべて一体となり『稲田の酒』は生まれます。

 

  なかでも本醸造 稲田姫のラベルは、「草那藝之大刀(天叢雲剣)」捧げる「稲田姫」が描かれています。

  稲田姫は、『古事記』や『日本書紀』にある出雲神話で登場します。

 高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の降り立つと、美しい娘を間に老夫婦が泣いていました。

 夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命で、娘は稲田姫といいました。夫婦の娘は8人いたが、高志から8つの頭と8本の尾を持った巨大な八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)が毎年来て、娘を一人づつ食べてしまったと話し、今年もヤマタノオロチの来る時期が近付き、最後に残った末娘の稲田姫も食べられてしまうと泣いていました。

 須佐之男命は、稲田姫との結婚を条件にヤマタノオロチ退治を請け負います。

 

 まず、須佐之男命は神通力で稲田姫を櫛の形に変えて自分の髪に挿します。そして、8つの門を作り、それぞれに八塩折之酒を満たした酒桶を置き準備をします。やがてヤマタノオロチが来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突込み酒を飲み出しました。その後、須佐之男命は十拳剣で、酔って寝てしまったヤマタノオロチを切り刻んだのです。

 このとき、尾を切ると剣の刃が欠け、尾の中から大刀が出て、この大刀を天照大御神に献上します。これが皇位継承時に正統たる帝の証しであるとされる三種の神器の一つ「草那藝之大刀(クサナギノツルギ)別名:天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」で、現在は熱田神宮にあり、皇居「剣璽の間」にはその形代が置かれています。

 

 ヤマタノオロチを退治した須佐之男命は、櫛になった櫛稲田姫と共に出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀(現・須我神社)に安住の地を求め、そこで「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 」(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)と詠み、この神社は和歌発祥の地といわれています。

 

 記紀神話は、とても面白く神々の行動範囲の広いことに驚きます。例えば、ヤマタノオロチが来た高志も現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、日本古代における呼称で、『古事記』では須佐之男命が根の国を「妣(はは)の国」と呼んでおり、ある説では、高天原を朝鮮半島南部と比定する説があり、須賀の「賀(が)」は「在り処(ありか)」の「処(カ)」と同じ意味で、この「須」を、朝鮮語の「辰(ソ・ス)」であると考えると、須賀は、朝鮮半島の南部に存在したとされる国、辰国かもしれません。

 歴史の断片は書物や史跡、神社や寺などに残り、不確かであるがゆえに多くの説が生まれ、想像が広がり各地を歩く楽しみになります。

 そうそう、ヤマタノオロチが飲んだ「八塩折之酒」現在でも飲めるんです。

 「八」はたくさん、「塩」は熟成(アルコール発酵)させたもろみを絞った汁のことで、「折」は繰り返しという意味です。当時の醸造方法そのままではありませんが、貴醸酒の技術を応用して、お酒でお酒を醸することを繰り返してつくられたお酒です。島根県松江市にある國暉酒造で醸されている「八塩折之酒」、機会があればぜひ試してみてください。

 

 稲田本店さんのピンバッジ作りを担当したA君、その後、神奈川県に栄転となり、関東でも飲み歩いているようです。先日、渋谷でのお酒のイベントで稲田本店さんの社長さんと会い、「ピンバッジがとても評判が良くて、喜んでおられました。」と連絡をくれました。

 A君、また一緒に飲もうね!

 

出典、参考文献・HP

『天皇と鍛治王の伝承』(現代思潮社)畑井 弘

『蘇我氏の古代学』(新泉社)坂 靖

『古事記』

株式会社 稲田本店HP

國暉酒造株式会社HP

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