「私、岡山の酒蔵さんでどうしても作りたいピンバッジがあるんです。」

 日本酒ピンバッジ倶楽部のお酒とピンバッジの受け渡しは、会員さんがマスターである、大阪は中崎町の日本酒Barか、十三の居酒屋さんで行っていますが、皆さんのご都合もあり、金曜日か土曜日の夕方の時間帯となります。

 当然、皆さん日本酒が大好きなので、その場で飲んで帰る方が多いのですが、楽しく飲んでいるときに、少し酔っているNさんに、口説かれてしまいました(笑)。

 

 デザインは、Nさんの希望で菰樽タイプとなりましたが、菰樽用のデザイン画が手に入れられなかったので、ネット上の菰樽写真を参考にしました。

 

 形は、かつて赤穂の酒蔵さんで菰樽タイプを造ったときに、コストが高いために、金型を日本酒ピンバッジ倶楽部の保有として作り、それをそのまま使いました。

 金型保存期間が2年間なので、これを最後に廃棄となった為、当倶楽部での菰樽タイプピンバッジは2種類のみとなったのです。

 ヨイキゲン株式会社の創業1907年(明治40年)、かつては鍛冶屋を家業としていましたが、初代の渡辺捨吉さんが現在の倉敷市真備町服部で酒造りを始め、高梁川の支流である小田川の伏流水と弥高山から流れてくる山水を仕込み水として使っていました。

 屋号は「富貴(ふき)」、商標は「富禄正宗(ふろくまさむね)」で、1921年(大正10年)の「清酒品評会」には優等賞を受賞、1924年(大正13年)には「全国酒類醤油品評会」にて一等賞を受賞しています。

 その後、二代目渡辺巌さんの時、商標を「酔機嫌(よいきげん)」としましたが、製造量が増えるにつれ醸造用水の確保に難儀し、創業から60年目の1967年(昭和42年)には現在の地、総社市清音に移転しました。

 日本酒の出荷ピークは1973年(昭和48年)です。

 当時は桶売り(未納税移出)用の製造が盛んで、伸び続ける出荷量に対応すべく、2000坪の用地を確保し設備の増設を行いました。しかし、やがて桶売りの量も減り、1975~1984年(昭和50年代)の焼酎ブームの時期に蔵では蒸留設備を導入し、米焼酎の製造を始めます。

 やがて平成に入り、社会的な変化や酒類の多様性の時代となり、量よりも質の良い酒を少量だけ嗜む傾向が見受けられ、その市場の変化に伴い、多くの一般酒販店が廃業し、売上も激減する中、かつての主要販売酒、普通酒の販売も苦戦し、50年前移転当時の設備と広大な敷地を維持し経営することが困難になりました。

 そして、2018年(平成30年)に酒蔵を大改革し、今まで長年造り続けていた普通酒の製造を完全に止め、土地の大部分を売却、特定名称酒以上の日本酒を造ることを決断します。製造設備の見直しを行い、製造蔵の空調完備や少量甑、新たな麹室の導入を進め、今まで酒造りで得てきた知識と技術を基に、ヨイキゲンの酒造りは、料理の味わいを引き立てる食中酒として適度な旨みと控えめな香り、貯蔵により適度に熟成された味を目指しています。

 

 岡山市の西部から総社市にかけては、数多くの古墳や史跡が残されています。

 かつて、現在の岡山県全域・広島県東部・香川県島嶼部・兵庫県西部には吉備国という大和、筑紫、出雲などと並ぶ古代日本の四大王国(四大王権)の一がありました。大化の改新後に制定されたといわれる令制国では、吉備は備前国・備中国・備後国・美作国となり、特に物語「桃太郎」のモデルといわれる「吉備津彦命」を祀る吉備津神社、吉備津彦神社がある吉備の中山あたりは、日本遺産STORY #064「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜の中心地でもあり、周辺には中山茶臼山古墳や国指定史跡の作山古墳など大規模古墳があります。

 また、現代では「晴れの国岡山」といわれている吉備は温暖で、近くには岡山三川の一つ高梁川、稲作が早くから発達しており、それを使った「吉備国の豊酒」は古くから有名であったようです。

 

 万葉集 第4巻 554番歌に「吉備の酒」が詠まれています。

 丹生女王の大宰帥大伴卿に贈れる歌

 

 「古人の たまへしめたる吉備の酒 

  病めばすべなし 貫簀賜らむ」

 

 (ふるひとの たまへしめたる きびのさけ 

  やめばすべなし ぬきすたばらむ)

 

 古人も酔いしれたという(あの有名な)吉備の酒で酔っ払ってしまいましたわ。下に敷く簀の子をいただけないかしら。

 

 古人は一説では大伴旅人だとされ、九州の大宰帥となった旅人が吉備の酒を丹生女王に贈り、吉備の酒を贈られた丹生女王は、遠い人を思いながら呑んで酔ったので、身を横たえるべく敷物である貫簣をいただきたいという意味だとすると、なんとも艶やかな恋の歌ですね。

 しかも、最後の「貫簀賜らむ」に至っては、火照った体を横たえる冷たい竹の敷物が欲しいなんて、思わず赤面するほどの生々しさです。

 当時は、年の差のある恋愛は当たり前のようだったそうですが、老いたる旅人は、丹生女王からのこの歌を見てどう思ったのでしょう。

 

 私は、『今昔物語集』が出典といわれる謡曲『道成寺』や歌舞伎『娘道成寺』の清姫と丹生女王が重なります。

 今でいうと楳図かずおの描く「○○女」の絵のようですね。若き安珍とは違い、数々の愛の遍歴を積んだ老大伴旅人は、丹生女王の心を安らかにするような歌を返したのだと思いますが、万葉集には見当たりません。

 

 そうそう、Nさんは、いつもは上品で素敵な方なのですが、お酒が入ると「酔機嫌」になり、だんだん艶ぽくなります。酒量に底が無いようで、どんどん飲んでいくと、だんだん楳図かずおの絵のようになっていくような・・・。

 Nさんには吉備国の豊酒「酔機嫌」は・・・。

 令和の丹生女王・・・?。

 

出典、参考文献・HP

ヨイキゲン株式会社HP

日本遺産ポータルサイトHP

万葉集ナビHP

『万葉集全注 巻第4』(有斐閣)

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