5月20日に徳島の鳴門鯛さんで開催されました撫養街道(むやかいどう)大麻・酒の陣に参加されていた福井の吉田酒造の吉田社長さんとご挨拶していたら、同じく参加されていました山口県の新谷酒造さんの新谷文子杜氏が私のもとへ来て、吉田酒造さんの白龍ピンバッジがSNSで上げられているのを見て、とても気になっていましたとの事でした。

 後日、活動内容やピンバッジを作る方法などプレゼン資料をメールで送信したところ、すぐに作りたいとのご返事をいただき、着手することになりました。

 

 新谷酒造さんは、山口県山口市徳地にあり、この地は森林地帯で、鎌倉時代に焼失した東大寺の木材調達のために訪れた重源が、村人に紙の製造を教えたと伝えられています。

 以降、毛利藩政時代には藩の事業として紙製造は大いに発展し、徳地紙は名産品として全国に知れ渡り、北前船の商人たちにより賑わいました。

 江戸時代後期頃は市場が連なる賑やかな町だったと言われ、蔵の建つこの場所は現在でも「市いち」と呼ばれています。一級河川「佐波川」の恩恵を受け、古くから稲作も盛んで小さな町の中に200年以上にわたり、5軒以上もの酒蔵があり、日本酒が造り続けられて来ましたが、明治に入り藩の後ろ盾がなくなるとともに紙製造は衰退し、時代の変遷と共に、新谷酒造さんは残された最後の1軒となりました。

 

 1927年(昭和2年)創業の新谷酒造は、地元酒蔵の蔵人として働いていた初代 新谷熊吉が造りを止めていた蔵を買い取り、独立したことで始まりました。

 二代目の新谷末彦のころには「和可娘(わかむすめ)」の名で地元で飲まれるお酒となりましたが、三代目の新谷義直が引き継ぐ頃に、杜氏が高齢のため引退し、廃業の危機となりますが、2007年(平成19年)にひとりでも造り続ける決意をし、蔵を四季醸造蔵へと改装、社長と杜氏を両方担う蔵元杜氏となります。

 10年後には蔵の梁が損傷により移設を余儀なくされ、平成30年12月に新蔵が完成します。

 これを機に、杜氏のバトンが夫から妻へと受け渡されます。当時(平成30年10月)山口県では唯一の女性杜氏が新谷文子杜氏が誕生し、今では夫婦ふたりだけで営む小さな小さな酒蔵となりました。

 

ピンバッジは「わかむすめ 牡丹」のボトルタイプ

 

「わかむすめ 牡丹 720ml」

雄町を60%まで磨き上げた純米吟醸酒。

控えめながら品の良い吟醸香が優しく包み込むように香り、雄町らしいふくよかさ、コクがありながら非常にキレの良い酒で、生酒となります。

 

もう一つは、「わかむすめ燕子花」ラベルタイプピンバッジ

「わかむすめ純米大吟醸 燕子花 720ml」

山田錦を40%まで磨き上げた純米大吟醸酒。

嫌みのない香りと、山田錦らしいやわらかで上品な米の甘味に包まれ、後味は雑味がなくクリアにキレていきます。

白ワインを思わせる爽やかな酸味が持ち味。

燕子花の花姿らしく、凛として品格のある杜氏渾身の一作です。

 

出典、参考文献・HP

新谷酒造HP

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