1846年といえば、弘化3年です。時はまさに幕末が始まろうとしています。3月には孝明天皇が即位し、7月には公武合体の主役である妹宮の和宮親子内親王と後の江戸幕府第14代将軍となる徳川家茂が誕生しています。(二人は同い年だったんですね。)

 1853年(嘉永6年)には黒船来航があり、元号でいうと弘化-嘉永-安政-万延-文久-元治-慶応と変わる激動の時代の始まりです。

 

 その1846年(弘化3年)に創業され、以来「品質本位」を第一に、愛知県四日市市楠町でお酒を造り続けてきたのが㈱宮﨑本店さんです。

 

 その後、1911年(明治44年)にはキッコーミヤ焼酎(粕取り)を始め、国内の甲類焼酎の中でも最高峰の品質を誇る亀甲宮焼酎 通称「キンミヤ」は、現在の七代目蔵元にいたるまでに、清酒にとどまらない、ブランドへと成長を遂げています。

 

 日本酒の「宮の雪」の銘柄は、伊勢神宮と宮﨑本店に因んだ「宮」、鈴鹿連峰の山並みに積もる「雪」を由来とし、純粋酵母と手作り麹を使用し低温でじっくり丁寧に発酵させたこだわりの清酒で、口に含んだ瞬間にふくらみのある香りとふくよかな甘みが広がり、かすかな酸味が特徴です。

 

 ピンバッジデザインは、『宮の雪 大吟醸』ラベルを参考にしたデザインです。

 この可憐なデザインを見て、なぜか私は㈱宮﨑本店さんと同じ年に生まれた皇女和宮様を思いだすのです。

 幕末の最終局面で、薩摩出身の天璋院とともに徳川家を守ったといわれる和宮様ですが、明治10に療養先の箱根塔ノ沢で31歳という若さで薨去されます。

 当初、明治政府は葬儀を神式で行う予定でしたが、和宮様の「家茂公の側に葬って欲しい」との遺言を尊重する形で、仏式で行われ、14代将軍徳川家茂公と同じ東京都港区の増上寺に葬られました。

 宮の雪 大吟醸は、ジューシーな甘さが際立つリンゴや桃、マスカットと金木犀を連想させる華やかな印象で、青竹や煎茶の葉のような爽やかな香気も感じられます。

 

 もう一つは、亀甲宮焼酎ラベルのピンバッジです。

 通称「キンミヤ」と呼ばれる国内の甲類焼酎の中でも最高峰の品質を誇る亀甲宮焼酎。ミネラル分がほとんど入っていない仕込水は清く柔らかな地元天然水で、ほのかな甘みとまろやかな舌触りのピュアですっきりとした味わい。どのような飲み方でもブレンドされる素材の美味しさを引き立てます。現役のころ、東京都北区赤羽にあった会社の横の焼きトン屋でシャリシャリに凍らせたキンミヤにホッピーを入れて飲んだのが旨かったですね。

 さて今回、日本ピンバッジ倶楽部が、なぜ焼酎のピンバッジを作ったかというと、ご存じのように「キンミヤ」は宮﨑本店の主力ブランドで、今回日本酒「宮の雪」ピンバッジ製作の際、宮﨑本店さんから、たっての希望という事で焼酎のピンバッジの依頼がありました。

 当倶楽部の趣旨が、蔵元を応援する事が第一義である事、日本酒のピンバッジ「宮の雪」を作ることが初めにあり、プラスアルファとしての要請であったことから、事務局・運営とも話し合い、応援させていただく事といたしました。

 なによりもこの「キンミヤ」ラベルの美しく上品なデザイン、皇女和宮様を思わせる魅力があったことも個人的には大きな要因であったかもしれません。

 

 ん~、今回は思い込みが強すぎるブログになったような・・・。宮﨑本店さん、ゴメンナサイ。

 

出典、参考文献・HP

宮﨑本店HP

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