ときおり無性に小豆、いや「あんこ」が食べたくなります。

どうしても、旨いあんこが食べたくなる時があるのです。

団子に牡丹餅、豆大福、羊羹、お汁粉、ぜんざいなど、小豆の魅力に勝てません。

 

 小豆に関する思いでは、子供の頃、両親が知り合いの結婚式に出席すると、必ず二段の折り詰め弁当を持ち帰ってきました。

 私の二人兄と弟は、鯛や蒲鉾、卵焼きなどがつめてある上段をお目当てにしていましたが、三男坊の食の細かった私のねらいは、残されて見向きもされない下段に詰められた赤飯でした。

 お赤飯て、子供よって好き嫌いが別れるようで、いつもは大皿に盛られたおかずの取り合いに負ける私でしたが、この時ばかりは、黒ごま塩をふりかけ、ゆっくりとあの艶のあるモチ米粒と小豆を味わうことができました。

 

 

 ピンバッジは、小豆といへば三重県に本社のある井村屋さん、「お赤飯友の会」お赤飯の素発売20周年を記念して会員さんにプレゼントされた、限定「友の会ピンバッジ」3種です。

 

 

 個人的には小豆バーが大好きなので、いつか小豆バーピンバッジを作って欲しいと願っております。

 

 さて、「あん」です。

 この頃よく妻と京都に散歩に出かけます。

 京都は、四季折々の風景や社寺仏閣だけでなく、洋食・和食、パンにチョコ、和菓子の老舗があまたあり、若い頃、学生時代に楽しんだ京都とはまた違った街を楽しんでいます。

 もちろん、「あん」といえば和菓子ですが、京都は日本一の和菓子どころであり、まさに星の数ほどの名店が有ります。

 そのなかで、「あんこが食べたい・・・。」となったときに私が訪れるのは老舗の京菓子司ではなく、此処、かさぎ屋です。観光地のど真ん中、東山二寧坂の石段の途中にある大正三年創業の甘味処です。

 

 

 二寧坂には、竹久夢二が大正5年ころに住んでいて、かさぎ屋にも通っていたそうです。

 

 

 店先は、海外の方々がそぞろ歩く雑踏となっているのですが、店内に入ると静かで落ち着いた雰囲気、注文するのは「亀山」です。

 

 

 亀山の由来は丹波小豆の産地である亀岡の古名「亀山」からきているそうですね。

 そういえば、亀岡市にある明智光秀の丹波統治の拠点の城は亀山城でした。

 

 

 全国の小豆の1%程度しか流通していないと言われる最高級のつやのある大粒の丹波産大納言小豆をふっくらと炊き上げた、優しく濃い味わいのあんこです。

 あぁ、何という満足感でしょう。まさに甘味が至福の時を私にあたえてくれます。

 

 

 箸袋の俳句「甘黨も素通りできぬ二寧坂」作者の天眠は、実業家の小林政治(こばやし まさじ)の号で、与謝野夫妻の渡欧資金や生活費を援助した人物です。

 現在の株式会社ダイヘンの創業者であり、同社は東証プライムに上場している電機メーカーで、電気インフラ機器や溶接・産業用ロボットなどを製造しているそうです。

 

「あん」ピンバッジです。

 羊羹の虎屋さんが、「あんペースト」を2003年に発売し、2023年に20周年を迎えたときの記念のピンバッジです。

 虎屋さんは室町時代後期の京都で創業され、明治2年(1869)東京遷都時に天皇にお供して、東京にも進出され現在は東京港区赤坂に本社がありますが、京都のお店も一条にあります。

 子供の頃、竹皮に包まれたズシリと重い、濃い小豆色の虎屋の羊羹は、とても手が届かなかった高級菓子でした。

 社会人になり、東京本社勤務になってから、ようやく営業の手土産として、あの黒地に金の虎が描かれた紙袋を持ち歩けるようになり、自身もいただけるようになりました。

 

 甘い物には脳にドーパミンが流れ、その刺激が気分を良くする効果があるそうですが、特に幸福感・安心感・ストレス緩和が代表的な効果だそうです。

 長寿のお祝いで八十八歳は米寿、七十七歳は喜寿、六十六歳は緑寿というらしいのですが、緑寿の爺である私は、そろそろ血糖値を気にしなければならないのですが、この年になっても、甘い誘惑に勝てません(笑)。

 

出典、参考文献・HP

㈱虎屋HP

井村屋㈱HP

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