春分の日から、大きな変化がありますよ❣️
と、言われていたので、
何が起こるかな〜と、アルバイトさんと昨日ビルの大掃除をしたりしながら楽しみにしていたのだけれど、最近変わった事と言えば…

ご予約電話がよく鳴るようになったのと
フロア定期利用の希望者さんが現れてくださったのと、牛ステーキセットがよく売れる様になってきたのと
今日は長らく不動だったジュースYOGAがよく売れた😆

それと、とある面接が受かった。
友達に報告すると、皆目を見開いてビックリしていた。ちゃんとそれが続けられる様なら皆さんにはお伝えしようと思います。

流れが少しずつ変わって来てるね🐮

そんな今朝目覚めて、来ていた連絡は、
「エミリオが亡くなったよ…」
イタリアのマリからだった。

エミリオは、イタリアで最後に働いた所のオーナーで、私が人生で唯一師匠と呼んでる人。

凄く色男で、色んな国の女がメロメロだった。
私の知るだけでも数人居る。
日本人女性も居た。
女だけでなく男も皆エミリオが大好きだった。

スイスのリヒテンシュタインから来て、
イタリア語も適当だった、
ソムリエでもなかった。

でも私が出会った頃働いていたミシュラン星付きレストランに来ているお客様も楽しそうだったけれども、エミリオ達の店に来ているお客さん達の表情は格別だった。

それに年齢性別、生まれた国、お金のあるなし、風貌も何もかもが、皆エミリオの注ぐワイングラスの前ではリベラルだった。

一度連れて行ってもらってから
忘れられなかったので、
車を買って直ぐ
友達と遊びに行く様になり、

どんな神様の思し召しか知らないけれど、

アパート探しをしていた時
唯一見つかった屋根裏部屋のアパートが
彼らのワインバーのある村だった。

大好きな造り手アルドやジョバンニさん、グイドもドメニコも居る村で、申し分無かった。

見つけた部屋の窓からの景色は、
モンフォルティーノのワインラベルそのものでした。

村に来て、直ぐ
勿論、私は「仕事させてください!」と言いに行った。

魅力溢れるお店だった。
マリ、オルネッラそしてエミリオの共同経営のワインバー

食事はマリとオルネッラの美人姉妹が、ごくシンプルな郷土料理を作っていて、Emilioが凄いワインと実に多種多様な方々をおもてなししていた。



この時から私は彼らの妹となった。

リラからユーロに変換期のリーマンショック前のイタリア黄金期で、世界中で最高のお客さんがたくさん来てくれて、最高な接客ができた時代でした。

沢山の友達を紹介してくれて
あの村の住人として約2年
外国人だった私を外国人と私自身にも誰にも感じさせないくらい仲間に入れて季節を共に感じさせてくれる最高の師匠でした。



私が、今ソムリエバッチも付けず黒いスーツも着ず
カジュアルスタイルで仕事をしているのは、
エミリオの世界を知ったから。

取り繕わないカジュアルな風貌で、
人を虜にする仕事ができたなら
それはサービスマンとして世界一。

ワインは、ソムリエバッチを見ながら飲む物でもなく、経験はそこはかとなく醸し出すもので
担ぎ込んだりいかめしい格好をしている人に飲まれるものでもないから。

あえて、普通にしておく事で
安心して話しかけて頂き、
心おきなく質問ができ
会話をして
ワインだけでない世界も交歓してこそ
真のワインの場であると思う。

普段着のソムリエを全然知ろうとしないお客さんは、格式ばった店や格好が好きなので
そこに行ってもらえば良いので別に構わないのです。

というか、私がソムリエであろうが無かろうが、
そんな肩書きも構わないのです。要は中身。

接客は今、目の前でその人に感じられる人間で勝負という訳なのです。

エミリオからは、そんな事を言葉で教えてもらったわけではなかったけれども、
私はそんな事を学んで帰ってきました。



2006年に私が開けたお店の壁は、
彼らと一緒に働いたLa salita'と同じ黄色を使いました。

共に仕事をしている気分で居られる様にと。

今日は何を書いていいのかわからないとりとめもない文章になってしまいました。

ちょっと観た映画なら、じゃんじゃん泣けるのに
ジョジョの時もそうだったけど、
Emilioも私にとっては大切な存在なのに涙なんて出てきやしない。

(つづく…)