仕舞い込んでいたこのワインを
食後に出してくるのに相応しいお客様がやってきた。
2006年のピンパリ開業1ヶ月目から来てくださっている方だ。
その年末に奥様とご結婚されると決められて、翌年には可愛い第一子にもお恵まれになられた。
だから、息子さんももう大学生になる歳。
時が進むのは速い。
それ以上にこの方とは、時々現状報告するたびに
同じ速度で生きている事を感じさせて頂く。
聡明で、複数言語を話し、頭の回転は速いのに傾聴力があり、見事なくらいワイドな考えで話を返してくれるのが大阪弁というのがこの方の特徴。
話題のレベルが高く、深く掘り下げているのに
いつも話が美しい。
精神が健康だから。
このワインは、私の世界3大イイ男(浅井美加調べ)
が、造るワイン。
大手ワイナリーの御曹司として生まれた彼だが、
郷里の地域全般のワイン造りに疑問を持ち
釈迦の様に1人外へ飛びだし
世にも時間がかかる(辛抱強さを要する)
昔この地で造られていたというヴェッキオサンペーリ造りをはじめる。
そして、歴史を動かし始めた。
彼に続く若者も現れ…
没後のマルサラの街には、彼の家族以外にも
ソレラ方式でグリッロを扱う人も居て
もうイギリス資本で植民地になっていた昔のマルサラではない。と、目の前で話してくれた。
26歳の頃、モスカートディパンテレリアが雑誌の特集に組まれたのもありピエモンテでもそれをお店で出すのが流行っていた。街でよく行くワインショップで色々入荷してくれていたが、高くて手がでなかった。
その中にマルコのブックラムもあり
当時唯一のヴェッキオサンペーリの造り手と同一人物だと知り、会ってみたくなりシチリア島に行く事にした。
ボーイフレンドも来るというので、
色々割り勘できるのでありがたいと思っていたけれど、飛行機のチケット取り間違え1日遅れで来るし、迎えに行ったレンタカーの座席から滞在先の部屋に荷物を運んでくれるのはいいが、本数限定生産の貴重なワインを地面に落として割ってしまうし、不貞腐れて寝ていた私の前日に着ていた水着も下着も洗ってあげたよ!と、洗面所で手洗いしたと言われ、恥ずかしいのと勝手に世話を焼かれた事に感情が煮えたぎって発狂したのを覚えている。
それから天然ボケの入った人の事を大目に見てあげられない人となり、天然に遭うと避ける習性ができた。どうでもいい回想が混じってしまった。
彼は一緒に帰りたかったようだけれど、
私は帰りの日を延長して
パンテレリア島に向かうと言って彼を空港まで見送り、あばよと、1人島へ行く夜行フェリーに乗った。
決して安全なフェリー旅ではなかったけれども風の舞う島に降りたったら爽快だった。
原付を借り、電話をして、ブックラムのワイナリーに向かった。黒い火山灰の土壌、太いアルベレッロ、手積みの石垣。これがワインの神が降りたつ神の大地ブックラムなんだと震撼した。
マルコがここでワインを作りたくなるのもわかる。ぞくぞくするくらいに生命を感じる場所だからだ。
彼自身からブックラムについてもマルサラの歴史についても聴かせてもらった。夕食をご馳走になり、マグロのトロ部の瓶詰めや土地の葡萄の様に美味しいケイパーを食べさせて頂いた。
それから2年ほどして、北部ベネトでのワイン会で彼のセミナーがあった。当日予約したら案の定満席で残念だったと、展示ブースで本人に話すと、「貴女には、今日のワインは飲んでもらいたい」と、席を1つ作って頂いた。30年超えの熟成されたヴェッキオサンペーリを頂いた。ジャーナリストさんからの質問が、「ウィスキーとニュアンスが似ているのですが…」という言葉に、質問が味覚が舌が稚拙過ぎてに答えたくない。とぶった斬った。
それから、マルコは近年患っていた病で1年足らずで亡くなってしまった。
彼が人生と命をかけて作ったワイン。
やはり手元に巡ってきた以上、飲ませる人も選びます。と、天に誓ってワインを扱わせて頂いている。
彼のワインに限ったことではないが。
男らしく良すぎる男性に出会い過ぎている為、なかなか彼氏が出来ない事を
こういうワインを飲んでくれているお客さんは私の事をわかってくれて長年見守ってくれている。
アメリカでもイタリアワインの美味しさをしっかり伝えたい。