自分から近づかなければ、ワインから近づいてくる事はない。

何度イタリアに行っても、知らない事ばかりで恥ずかしくなってしまう。人の土地の話や人の造った物で仕事をしようとしているクセに実は何も知らない事を知る。伝える言葉も足りなければ、聞く力も弱い。
未熟な自分にまた出会ってしまった。
それでも、持っているものだけでも全力で使いきって良かったと思っている。出会った相手が良かったからだ。運がいい。
恥ずかしげもなく、自分の感じた事と考えとここに来た理由を話し曝け出した。造り手達は既に彼らのワインで曝け出しているからだ。
秘密なんてない。さぐりなんてない。私が投資している時間も仕事を休んでいるこの期間のリスクも必ずそれを超える物がある。愛する犬や恋人や病の母や親しい人を置き去りにしている意味はある。ビジネスの次元ではない。交換条件でもない。人として、人の造ったものを扱う人間として創り出した人と出会うことは当たり前の事、自分の手元に居る誰かの子供の生みの親に会って様子を報告したいと思うのは当たり前の事。どんな親なのか知り、どんな思想の下生まれて来たのか、どちらの方向を向いているのか、自分の感じた印象と重ね合わしてお客様に飲んでいただく時に補足修正を求めているワインなのか知る事は大事だ。
どんな環境で生まれたのか知りたくなるのは当たり前の事。好きならそうなる。好きだからそうしてしまう。
私の身体は一つしかない。なかなか無理もあるけれど、まあこれで良かったと思う。後8時間程で帰国便に乗り込む。疲れ過ぎていて眠れない。心臓だけが高鳴っている。
静かな部屋に鳴る鼓動とこの旅で出会った偉人達の言葉が重なる。
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