お受けした救援物資、しっかり届けてきました。
緊急車両しか走れない東北自動車道を走って名古屋から十五時間。
道中、物を探しながら歩く被災者たちがたくさん。 倒壊・流された廃屋の中で使えるものを探します。
子供づれの方や地域の情報をお知らせいただいた方などに甘いものを渡しました。
人生において言葉とはいえ、これほど感謝されたことはありません。
どらやき一個の話です。
今何が大切で、今何を求めているのか。
被災者としては、どら焼き一個でも手を差し伸べてくれたという気持ちを感じられたのかもしれません。
どら焼きで「このことは一生忘れられません」といってくれた30代男性。
長い時間運転してきた甲斐があった瞬間です。
何箇所か避難所を巡って最終的に多くの荷物を置いたのは石巻・渡中学校。
廃墟と感じられる学校の中で、避難されている方がおりました。
残骸が多く道路が寸断されていたため、物資が届きにくい場所でした。
夕方、陽も落ちだす中に男性陣と少しの女性で荷物を降ろしです。
ちょっと走るとすぐ疲れる私もエネルギーが切れる事はありませんでした。
被災者が本当に明るい。 どこから出てくる笑顔、会話なのか。
私も暗い気持ちを出さずに明るく行動しました。
私たちが逆に気を使われてしまう始末。
でも、悲惨な避難所でもそこが彼らの「拠点・家」なんです。
そこに招かれた私たちに彼らはこれ以上の無い気持ちを使っていただいた。
被災者の方と短時間ながら交流をし、復興後は必ず会おうという話もして後にしました。
帰りは雪が積もる中、神経質な運転が求められ、50時間以上不眠不休で最大級の疲労の中、そのまま名古屋より所用でアジア方面に飛んできました。
そのため文脈なし、乱文ですが、帰国後改めて報告させていただきます。
数少ない中にも写真も撮影してきました。
まずは字よりも私の口で伝える事のほうが、支援いただいた方に理解いただけると思います。
写真を持参し、近いうちに必ず報告に行きますので、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ご支援いただいた周りの方にも心からお礼させていただきます。