添乗員をしていた頃、日本各地で感動的な景色に出逢った。
心震わされるあの情景は、今でも忘れない。
いや、多分おばあちゃんになって棺に入る寸前にもう一度記憶の走馬灯で一瞬だけでも思い出すだろう。
イタリアから帰ってきた頃は、アメリカの9.11テロからまだ1年半くらいの頃で、それに追い討ちをかけるが如く
鳥インフルエンザ、SARSと世の中がホント大変だった時期で、
添乗員になりたての私なんかには、海外の仕事が廻ってくることがなかった。
というか、今の不景気以上に旅行会社が決定的なダメージを受けていた頃だ。
そんな中、国内の事を何も知らなかった私にとってはドサマワリ的な仕事も経験を積む上では本当に好都合だったと思う。あの国内旅行の日々のお蔭で、今日もピンコパリーノで面白おかしく地方ネタを話すことができるのだ。感謝している。
4年間添乗員生活を送ったわけだが、素晴らしきアサイナー(仕事を割り振りする人)のお蔭で、私はちゃっかり日本の全都道府県を踏破することができた。
その中でも、必ずまた訪れたい場所は鹿児島県の屋久島。
苔むした森の中をお客さんと大きな木の根っこを跨ぎながらハイキングをしたり、縄文杉を抱きしめたり、
右と左のハサミの違う蟹を海辺まで追いかけたり、夕立に打たれマングローブの林をバスの中から眺め、明るいガイドさんの声に皆で大笑いをした。そして島で採れたマンゴーやパッションフルーツをお土産にした。
全身にまとわりつく、澄み切った湿気が本当に気持ちよかった。
1つの島で日本全土の植物が採取できるという世界自然遺産の島だ。
そして、大好きで仕方がない場所は黒部・立山アルペンルート。
もう15回以上登らせてもらった。
晴れ女の私もどうもこうも動けなかった濃霧の日もあったけれど、その心臓をも高鳴らせる静かで雄大な自然は添乗員冥利に尽きた。ガイドさん無しで説明をして誘導するこのコースは、お客さんを自分の掌中で笑って泣かせ感動をさせる演出ができる最高の舞台だった。
雨は雨。積雪は積雪。青空の日は、胸まで突き刺す希薄で澄んだ空気の中の日差しは澱んだ下界のしがらみでヨレヨレになっている私たちを真っ白に皆を漂白してくれた。
這い松の茂みから聞こえる雷鳥の鳴き声、雪解け水の轟々たる流れ、あの世に地獄の分かれ道があると、江戸時代に室堂の硫黄の谷間を見つけた人は本当に思ったという黄色い有毒噴煙のあがる地獄谷。
ケーブルカーの待ち時間に顔を出してくれた日本カモシカが本当に可愛かった。
あの高地で、人の手で創造された黒4ダム。その功績と殉職者に皆で黙祷した。
我々が、今此処にあることができるというのは神の創った自然界と便利な世界を造ってくれた先人の恩恵であることを痛感させてくれる素晴らしい場所。
そしてもう1つ、たくさんある美しい観光地の中でも遠くてこの辺りじゃあまり若者は誰も話題にしない場所である東北地方は時の流れが緩やかでとても癒しの場所だった。
キラキラ光る奥入瀬渓谷は、ケヤキや楓が水面に映り、秋色の世界に私達を包んでくれた。
温泉の素か牛乳が入ってるのではないかと思わせるような、絵に描いたような理想的な真っ白い露天風呂。その名も乳頭温泉(笑)奥州平泉の金色堂の荘厳さに境内で自分も芭蕉の気持ちになれた。
そんな東北が今、大地震で最高の観光シーズンに大打撃を受けている。
あの日仲良くなった2つ年下のバスガイドさんは、私と会った秋から年が明けて半年後にバスを運転できる大型運転免許を取ってインカムで案内できる運転手さんになりたいとメールをくれていた。
今回の地震でお見舞いのメールを送信してみたが、彼女はメアドを変えてしまっていた。そりゃそうだ、もう何年前になる?
とりあえず、あの人達が頑張るあの地でまたもう一度素晴らしい観光ができるよう祈るしかない。
美しい観光地が土砂で埋もれ、観光収入を第一としている人々の心を曇らせる。悲しいけれどこれも自然だ。
私達の少しの気持ちだけでも、届ける事ができたら。と、
ピンパリに募金箱を設置しました。
すでに、このピンクの豚さんに勇士の方から募金を頂戴しています。
(意外とお札を入れてくださる人がいてびっくりしています。ありがとうございます。)
私も8月はしっかり稼いで、募金箱にまたお金が入れられるように頑張りたいです。
私達の平凡な日常を少しだけ、おすそ分けしませんか?
9月30日まで置いています。よろしくお願いします。