こんばんは!

臨床心理士・公認心理師・産業カウンセラーのぴのです。

 

最近の調査によると、日本の若者の約44%、20歳以上の成人の約60%が皇室に対して「関心がある」または「どちらかと言えば関心がある」と回答しています。

 

特に、年齢が上がるにつれて関心が高まる傾向が見られます。

 

そのなかでも皇位継承問題に注目が集まっている。

 

国民の9割以上が天皇家の敬宮愛子内親王殿下に即位してほしいというアンケート結果がでているという。

 

 

岸田首相は2023年2月の党大会で、「安定的な皇位継承策は先送りできない課題で、国会での検討を進めていく」と述べた。

 

しかし、具体的な動きはなかった。

 

天皇家の長女、愛子さまを想定した「女性天皇」は、世論調査で9割の支持を集めており、「男系男子」論が主流の国会との差異が著しい。

 

国民の多くは男系男子に限る皇位継承を定めた皇室典範の改正論議を望んでいるが、国会では論議の棚上げが続く。

 

「永田町」の実態を、国会で皇室問題に10年取り組んだ菅野志桜里・前衆院議員がこう語っている。

 

「国会には皇室問題を議論する場がほとんどなく、天皇論議の場を作らせないようにしているのではないか。

 

時間稼ぎをして、愛子さまが人生の次のステップに進むのを待っているのではないかとさえ憶測されています。

 

誰も手を付けたがらず、このまま制度論がのらりくらりと放置された結果として、愛子さまが一般国民と結婚され皇籍を離れてしまうことがあれば残念だと考える人は多いでしょう。

 

現行、国会では秋篠宮家の長男、悠仁さままでの流れを前提にした現行の男系男子継承の維持が基本であり、「愛子天皇」の可能性は否定したものである。

 

2005年の小泉純一郎内閣の有識者会議報告は、正反対の内容だった。

 

「男系継承を安定的に維持することは極めて困難で、女性・女系天皇への道を開くことは不可欠」、皇位継承順位は「天皇の直系子孫を優先し、男女を区別せず、年齢順の長子優先」とあった。

 

「愛子皇太子」が実現すると思われたが、間もなく悠仁さまが誕生し、皇室典範改正案の国会提出は見送られた。

 

「小泉内閣の有識者会議には、皇室関係の著書も多い園部逸夫・元最高裁判事や緒方貞子さん(日本人初の国連難民高等弁務官)らが有識者のメンバーになり、17回の会議を重ねて結論を出したという。

 

それから15年以上が経ち、皇族はさらに減り、次世代の皇位継承資格者は悠仁さま一人という切迫した状況になった。

 

「『悠仁さま以降の皇位継承については、将来、悠仁さまの年齢や結婚などを巡る状況を踏まえた上で議論を深めていくべき』と報告書は述べているが、皇室で一番大事な天皇に将来どなたがなられるのか、この問題を棚上げしたまま、他の結論を出すのは本末転倒。

 

旧宮家案の男系派をなだめるための報告書だと思えた」

 

「秋篠宮さまの立皇嗣(りっこうし)の礼が20年に行われ、翌年に有識者会議報告書が出たことで、次の天皇は秋篠宮さまに確定と思い込んだ人が少なくない。

 

女性・女系天皇を言い出して、秋篠宮家に弓を引くようなことは慎むべき、と皇位継承問題をタブー視させようとする動きも感じられる」

 

「こうした雰囲気の中で、永田町の政治家はこの問題に手を付けるのはまずいと考えるようになり、それに男系派が乗じた」

 

 

成城大学の森暢平教授もこのように語っている(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline)。

 

 小泉純一郎政権は19年前、「皇室典範に関する有識者会議」(吉川弘之座長)を発足させ、女性・女系天皇の「途を開くことが不可欠」という結論を得た(2005年11月24日)。

 

しかし、この報告書は、21年の新しい有識者会議(清家篤座長)では完全に無視された。

 

政策変更するにせよ、以前の検討にまったく触れようともしないのは、どう考えてもおかしい。

 

小泉政権下の有識者会議の座長吉川は、合計特殊出生率(一人の女性が産む子の数)の低下に注目し、その要因である晩婚化の背景には、女性の高学歴化、就業率の上昇、結婚観の変化があると見た。

 

皇室も一般社会から配偶者を求める以上、こうした動向と無関係だとは言えないとする。

 

現在の合計特殊出生率は史上最低の1・20(05年では1・29)。

 

男子しか継承権がない皇室では、この数字が2・0を上回らないと継承者の数は先細りする。

 

大正天皇夫妻が結婚したのは20歳と15歳、昭和天皇夫妻は22歳と20歳、上皇夫妻は25歳と24歳、天皇夫妻は33歳と29歳であった。

 

外務官僚としてキャリアを積んだ雅子さまを見れば分かるように、女性も学校卒業後就業し、結果として結婚は遅くなる。

 

 吉川報告書は「歴史的に男系継承を支えてきた条件が(略)出産をめぐる社会動向の変化などにより失われてきている」と断言する。

 

明治天皇以前には側室(お妾(めかけ))も許され、正配に子がなくとも、跡継ぎを確保する手段はあった。

 

家族の倫理観の変化からそれも許されなくなった。

 

◇女性天皇の容認 昭和時代は32%

 

 こうした状況分析のもと、吉川報告書はさらに社会における家族観の変化を強調する。

 

天皇は男性であるという観念は、男子による家督相続を重視した明治民法、「家」の概念、男性優位の考え方と結びついていたと吉川報告書は言う。

 

しかし、戦後、男女の役割分担の在り方や家族観は変化した。

 

男性の血筋で継承されるのが基本という男性中心の家族観は劇的に変容したのだ。

 

 吉川報告書は、政府の世論調査を紹介する。1968年の調査では、遺産相続の際、「長男、跡取り」を他の兄弟より多くしたほうがよいと答えた人は55・8%もいた。

 

だが2001年になると、「長男だけ」「長男になるべく多く」遺産を分けたいと答えた人は計9・8%と激減する。

 

 家族の形は19年前よりさらに変わっている。

 

結婚しない選択、子どもを持たない選択、同性同士で結婚する選択……。

 

こうした家族の多様性もより広く容認されるようになった。

 

2005年に28・0歳だった女性の平均初婚年齢も、23年には29・7歳と2歳近く上がっている。

 

結婚以外の選択が広がっていることも背景にあるだろう。

 

 女性・女系天皇はいま世論から広い支持を受ける。

 

 

共同通信社の世論調査(24年4月)では、90%の回答者が女性天皇を認め、84%が女系天皇にも賛成である。

 

ところが、1975年の調査では、「天皇に女子がなってもよい」と答えた人は31・9%に過ぎず、「天皇は男子に限るべきだ」とした答えは54・7%もあった。

 

人びとの家族意識が変わるとともに、天皇についての考え方も変容した。

 

 

吉川報告書は、「天皇の制度において、固有の伝統や慣習が重要な意義を有することは当然であるが、他方、象徴天皇の制度にあっては、国民の価値意識に沿った制度であることが、重要な条件となることも忘れてはならない」「国民の間では、女子や女系の皇族も皇位継承資格を有することとする方向を積極的に受け入れ、支持する素地が形成されている」と明言する。

 

吉川報告書は、旧宮家皇族の皇籍復帰についても踏み込んでいた。

 

いわく、旧皇族およびその子孫はすでに60年近く一般国民として過ごしており、いまの皇室との共通の祖先は室町時代までさかのぼる「遠い血筋」である。

 

そのことを考えた吉川報告書は「皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要」である象徴天皇制下、旧宮家皇族の皇籍復帰は「国民の理解と支持を得ることは難しい」と断ずるのである。

 

吉川報告書が書かれた時点では「60年近く」だったが、今はもう「80年近く」を経ている。

 

 吉川報告書を受け、小泉政権は2006年1月から始まる通常国会で女性・女系天皇を認める形での皇室典範改正案を提出する準備を始める。

 

ところが、2月7日、39歳だった秋篠宮紀子さまの懐妊が報道された。

 

改正案提出は、生まれてくるのが男児かどうかを見きわめることになり、結局、悠仁さまが生まれ(9月6日)、提出は断念された。

 

 あれから20年近くが過ぎた。家族意識の変化、少子化をめぐる社会と皇室の関係、旧宮家皇族復帰の現実的な困難さという条件は、何ら変わっていない。

 

男系継承を悠仁さまひとりに頼る形により皇位継承の不安定さは増している。

 

だが、菅義偉、岸田文雄政権下の皇室継承に関する有識者会議(2021年)は、吉川報告書の検討内容を無視した。

 

小泉元首相の子息進次郎が首相となったら、父親時代の検討を踏まえ女性・女系天皇議論が再燃するという見方があが、自民党そのものが極端に保守化しており、党として舵(かじ)をもとに切り直すことは考えにくい。

 

そもそも、進次郎はこの問題に発言したこともなく、ほとんど期待できないだろうと森教授はいう。

 

 

世論調査の結果をはじめ、愛子様を天皇にという署名活動などあちこちで起こっているにも関わらず国民の声は無視なのか?

 

DNA鑑定を求められるような宮家に、皇統を移して大丈夫なのか?

 

保守派が主張するように、男系の血統が極めて重要であるならば、皇籍復帰する候補者のDNA鑑定も必須となるとの主張も聞かれる。

 

ここで、万が一にでもDNAが一致しなければ、男系派の希望は断たれることになる。 

 

もし、秋篠宮家のDNAが先代と一致しないとなった場合、どうなるのか?

 

 

 

誠か否か、さる宮内庁職員が語ったというこんなお話しがある。

 

かつて上皇陛下は、平成の頃「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい。だけど、自分も長く元気ではいられないだろうから、早く議論を進めてほしい」と側近に仰ったとされる。奥野修司『天皇の憂鬱』新潮社、2019)。

 

「平成の頃、当時の天皇陛下や美智子さまなどと皇位継承問題について何度も話し合いがもたれました。

 

美智子さまが『旧宮家復帰となれば、DNA検査をするのでしょうか?』と問われ、『そうなる可能性はあります』と答えました。

 

さらに『どのように?』と質問いただきましたので、『その段階にならないと解りませんが、男系を維持するためには、皇統を受け継がれる秋篠宮殿下あるいは悠仁さまと、復帰される旧宮家の方との検査になると思います』と答えました。

 

すると美智子さまは『皇太子(現、天皇)とではないのですか?』と驚かれ、少し考えた後

 

『人を信じましょう。それこそが慈愛です。疑うことは人の心を貧しくします。どうしてもするというのなら旧宮家復帰案は難しいですね』と仰いました。

 

思えば温厚な天皇陛下に比して、秋篠宮殿下は幼少時よりヤンチャで知られ、お二人は似ていない。

 

 

最後まで、お付き合いいただきありがとうございました。