岡山県と広島県にある数ヶ

 

勤めを辞めたらやりたいことの中に、国内外の一人旅と全国の神社参拝があります。

 

平日の一人旅、神社参拝最高です!ラブラブラブ

 

初めに岡山市の吉備津神社に行きました。

 

 

ここで少し不思議な体験をしました。おねがい

 

今回4社回った中でも、特に心に残った神社です。

 

吉備津神社は、国宝に指定されている比翼入母屋造の勇壮な社殿と398メートルにも及ぶ長い廻廊

これ見ごたえありますね。

 

釜の鳴る音で吉凶を占う「鳴釜の神事」。

 

そして何といっても桃太郎伝説のモデルとして有名な神社です。

 

あじさいの名所としても有名ですが、今回は素晴らしいあじさいを堪能できましした。

 

JR岡山駅から桃太郎線(吉備線)で約17分 ~ 吉備津駅下車

徒歩約13分

 

向かう途中、なぜか意識がボーとしてしまい

吉備津駅を2駅ほど乗り過ごしてしまいました。

 

桃太郎線は桃色でした照れ

 

降りた駅は、人っ子ひとりいない無人駅。

 

次に電車が来るのは1時間後。

 

ぼーと駅のベンチに座っていると、異次元に入り込んだ感覚になりました。びっくり

 

子どもの頃に戻り、草原に迷い込んだような感覚です。キョロキョロ

 

 

電車で吉備津駅に戻り、暫く歩き大きな道路を横切ると参道に入ります。

 

まっすぐな参道には450mに渡って「吉備津の松並木」と呼ばれる松の大木が並んでいます。

凄いな、こんな松並木見たことないななどと松の木を眺めながらだんだんだんだん神域に近づくにつれ

意識が遠のくような変性意識に入ります。

 

大亀の背中に乗って竜宮城へ向かう浦島太郎はこんな感じだったのか?

 

松の並木道が終わると広い駐車場とお土産屋さんが現れ、ここで現実に戻ります。

 

入口も派手さはありませんが、風情があり私好みです。

 

 

石段を登ると、素敵な社殿が現れます。

 

 

電車を乗り過ごしてしまったため、滞在時間が20分しかなく、すぐに長い廻廊へ。

 

 

堪能することなく御朱印をいただき次の訪問地へ移動となりました。

もう一度、ここを訪れたいと強く思いました。

 

吉備津神社だけにお参りするのは「片参り」ともいわれ、

すぐそばの吉備津彦神社と両方お参りするすると、さらにご利益があるのだそうです。

 

お参りできたご縁をいただき、ありがとうございました!とお礼をささげました。

 

「吉備の中山」と呼ばれるこの神社は、神の山として崇められるパワースポットで、山のエネルギーを強く受けています。

 

特に、拝殿へ続く階段のパワーが強いそうです。

 

強いパワーを受けたことは、感じました。

 

神社を後にしてからも、麻酔が醒めきれないように一日ぼーとしていました。

 

こういう経験は、初めてかもしれません。

 

吉備津神社も吉備津彦神社も、共に主祭神は大吉備津彦命です。

 

吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、第7代天皇である孝霊天皇(こうれいてんのう)の子・彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)です。

 

大吉備津彦命は、弟の稚武彦命(わかたけひこのみこと)と一緒に奈良のヤマト王権から各地の討伐に出た崇神朝四道将軍のひとりです。

 

吉備津彦命の子孫は吉備氏(きびうじ)として有力地方国家を築き、大和朝廷とも密接な関係を持ちます。

 

吉備津彦命(大吉備津彦命)の弟・稚武彦命(わかたけひこのみこと、若建吉備津日子)の娘播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)は、第12代景行天皇の皇后となりました。

 

そして、あの「日本武尊」(ヤマトタケル)を産みました。

 

日本武尊東征の従事した吉備武彦(きびのたけひこ)は、娘・吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)をヤマトタケルの妃としています。

 

邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)が吉備関連であると言う説もあり、

卑弥呼は大吉備津彦命の姉・大倭迹々日百襲比賣命(倭迹迹日百襲姫命)(やまとととひももそひめのみこ)ではないかとされています。

 

諸説あり、わからないことが多いのですが、ここは日本書紀や古事記に出てくる伝説の地と言われます。

 

古事記にも記されているように、吉備国には、女や子どもを襲い残虐な性格を持つ、髪が赤く目が鋭く力が強い「温羅(うら)」という4メートルを超す大男が現れました。

 

朝廷は、吉備津彦命を四将軍の一人として派遣し、吉備津彦命は配下の犬飼部犬飼健命と猿飼部楽々森彦命と鳥飼部留玉臣を率いて温羅と戦い、見事に退治して町に平和が戻りました。

 

この話が民話の「桃太郎」として広まり、世界中に知られるようになりました。

 

この温羅は、もともと吉備を支配していた旧領主で、中央から進出した政府軍が武力をもって討伐してきた為、鬼ノ城にて籠城するも敗れたといえます。

 

温羅は日本人では無く、よその土地から吉備にやってきて、製鉄技術を持って支配者となったようです。

 

首領である温羅の首は地下に埋めても13年間もうなり続けたといわれます。ガーン

 

その伝承をもとにした、炊き上げる釜の鳴る音で吉凶を占う「鳴釜神事(なるかましんじ)」が今も続いています。

 

吉備津神社の御利益は、「縁結び」「夫婦円満」「安産育児」「長寿」「金運」です。

 

パワーチャージさせていただきました💛

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。