ある日の朝、ドアをたたく音がした。


「おとうさんだ」



私はなんか、ちょっと、怖い、みたいな気持ちだった。また心臓がドキドキした。


父は1人ではなかった。



当時父の部下の若い板前が一緒だった。若いといっても私と一回りも歳が離れている人だが。


この人もまた、父のせいで借金地獄に落とされて、そのまま地獄で生き続けている人だ。


父は妙に愛想が良かった。


私はため息が出た。


「お金、ないから」




今度の父は違った。ちゃんと下準備をして訪れていたのだった。



父は言った。


前の会社の従業員に給料を払わなくてはいけない。そのお金を今日中に工面しなくてはいけない。


どうしても今日中に200万必要だ。


一生懸命働いてくれた従業員の為に払ってやりたいんだ。




前の会社?給料?


自分の子を養う金も出さない親が、従業員の給料?






ああ、そうか、



嘘か。




父は土下座した。


頼む、どうしても必要なんだ、


涙を流して、土下座していた。



私は連れの若い板前に、外で待つよう言った。


そんな姿を見せたくなかった。


でもきっとこの人は慣れっこだったんだろうと思う。



にしても、200万なんて大金、どう袖を振ったって持っているわけない。


「店のママには借りられないよ」


すると父は続けた。


O島さんが、娘を連れてきたら貸してやると言うんだ。






O島とは歳は60くらい。恰幅も良く、貫録もある、私達の地元に住んでいるヤクザで、高利貸しの個人金融をしていた。

昔、一度だけ実家に来たことがあった。どうゆう関係なのか、父と母とは友人関係のような間柄のようだった。


ちなみにこの人は、ヤクザ同志の諍いで、人を殺し、数年間刑務所にいた事もある。




父は続けた。


O島さんは、もし、返済できないならば、娘を売り飛ばすしかないぞと言うんだが、おとうさん、絶対にそんなことしないから


来月になると金が入るから、必ず全額返済するから




私は父の言葉に激怒した。


O島のやつ、父に上手い事吹き込みやがって、私を使うなんてそんだけ金の亡者なんだ、

私を売り飛ばすなんてふざけた事を父に言いやがって


父をだましやがって




私は父にO島に電話させた



電話口で私は怒鳴り散らした


私を担保に金を貸すなんて、そんなこと父に吹き込みやがってふざけるな


てめえどこまで腐ってやがるんだ 金が取れればなんでもすんのか!!!!!!!!!!




おいおい、ちょっと待てよ なんだいきなり


O島はイラついたように言った。


こちらはなにも言っていないぞ


そう言ったのは、お前のお父さんだぞ






言葉の出ない私にO島はゆっくりと、説明するように、もう一度言った。



娘を連れてくるから、金を貸してくれ、


返せなかったら芸者に売っても構わないから



そう言ったのは、お前のお父さんだぞ




鼻水を垂らしながら、頭を床にこすりつけて土下座している父を見つめた




俺に金を借りるってことは、そうゆうことなんだぞとお前のお父さんにも話したよ


それを分かって言っているのかと確認した、


お前のお父さんは、それでもいいから貸してくれと言った



俺は、お前を連れてきたら貸してやるなんて一言も言っていないよ



そう言ってるのはお前のお父さんなんだぞ








昔、レオンという犬を飼っていた。



冬のある日、外は寒いからと兄が玄関に入れた。


酔って帰宅した父が犬を外に離し、


そのためにレオンは死んでしまった。



あの日、


私は父に言った。



「パパが死ねばよかったんだ!!」









だからか。


私があんな事、言ったからか。



だからパパは私が嫌いだったんだ。



だから私が風俗に売られても平気なんだ。



そうか、そうだったのか。





他に理由が見つからなかった。



わが子を風俗に売ってしまうなど、平気な親がいるものか。



私はあの時パパを傷付けたから。だからなんだ。






私は何も言わず、念書を作成した。


この借金は父のものではなく、私個人の借金であること。


返済は月々分割にする。


その返済が滞わない限り、私の家に近づかない、


万が一滞ったとしても、妹に一切の返済の義務はない


そんな事を必死で書いて、


O島の家に向かった。



父は終始、済まない、済まない、と泣いていた。



O島の家は、大きな家だった。


和風作りの建物で、お金を貸す部屋?のような場所に通された私達はO島を待った。


10畳程の和室に、立派な座卓。ヤクザの事務所らしい、動物の毛皮の絨毯やはく製などが飾られていた。


ほどなくしてO島がのっしのっしと現れ、現金の200万、借用書を出した。


そこから、利息と称し、10万が引かれ、190万が父に渡された。


連れて来た若い板前は保証人だった。


私は毎月10万ずつ返済すると言った。


借用書の額面は330万だった。


通常、分割払いは受けていないんだよ、年月が掛かれば、その分利息もつくからね、わかるね。


と言われた。


実際には190万しか借りていないお金が330万で返さなくてはならない。



ほんとにいいんだね、



O島は私に念を押して確認した。



私は、父の嘘を知っていた。


この金もきっと別な所に消える、焼け石に水の金となるのだろう。


私にどういったら、ここへ連れてこれるか、必死で考えていたのだろう。


父と始めて目があった。


父は顔をグシャグシャにして、「ご、  ごめ」と嗚咽で声にならない声で言った。


私がここへ来なかったら父はどうしていたのだろう





私はなんでも良かった。


ご飯も食べれないほど憔悴した父の背中、


強くて怖くて、


怒るとクマみたいに大きな声で雷を落とす、


そんな父にもう、泣いて欲しくなかった。


たった1日でも、今の借金地獄の苦しみから救ってあげたかった。たとえ、一瞬であったとしても。




私は念書を渡した。


O島さん、私はあなたを信用しません。だからこれにサインをしてください。



O島は複雑な顔をした。


こんなもの書かなくたって、そんなことはしないよ


と言ったが、


だったらサインできますよね。


O島はしぶしぶ承諾し、サインした。



そして私も、190万しか借りていないのに、330万返済しなければならない借用書にサインした。



O島は、何か憐れんだような目でこちらを見ていた。


父に、


お前もいいかげんにしろよ などと言っていた。


父は私に色々言ってきた。


ごめんとかすまんとかありがとうとか必ず来月返すからとか


私は「要らない」と言って、自分の家へ帰った。



ちなみに父から返済されることは一度もなかった。


あの日、父の嘘を鵜呑みにしていたら、私は風俗行きだった。




このことは妹に言えなかった。


初めて秘密をした。









父が来たことを妹に話した。


私達に秘密は無しだった。


店のママもとても心配していたが、私はとにかく明るく「大丈夫です、スミマセンでした!」と言った。


ママは、「嘘つくんじゃない!」と私を怒った。


お金を貸してあげれない自分が情けない、あなたを助けてあげたい、


でもね、あなたは本来親が面倒みるべき妹を養って、


かつ、父親の借金を背負うなんて、それは間違っているのよ


私があなた達を守ってあげるから!


そんな事を言われた。


ママも泣いていた。


私は涙と嗚咽と鼻水でぐちゃぐちゃだった。



この頃、すでに店の経営は傾いていたらしい。


ママは店を持ってから20年以上経っていたが、バブルの最盛期に脱税をして、その重加算税に四苦八苦していたらしい。

バブルが崩壊して、少しづつ世の中も不景気になり始め、私が勤め始めた頃を考えても明らかに暇になっていた。


お金があったら、きっとママは貸してくれただろう。そうゆう人だ。




それから数カ月して父に会った。


父は店に客として来た。知らない男と一緒に。


明らかに不快感をあらわにするママをなだめ、お願いし、店に入れた。


父は酔っていた。そして横柄だった。


いつもの父だった。


私は安心した。



閉店後、父に呼ばれてとある居酒屋へ行った。


これから一緒に商売する仲間という人たちを紹介された。


何かあったら娘の店を使ってやってくれ、みたいな事を言った。


父なりの、何か、思いみたいなものがあったのかもしれない。


しかし、メンバーを見て、こりゃだめだと思った。


皆、この商売に、首の皮1枚で必死にしがみついているような人ばかりだった。


これが失敗したら、死ぬしかないみたいな人ばかりだった。


私はきっとまた失敗すると思った。


きっとみんな、必死で金策して、どこかから借りてきたような、その大切なお金を父の為に使ってはいけないと思った。


そして、もう、父にお金を出さないでくれ、と思った。もう、父に罪をつくらせないで。



それから数カ月、父から連絡はなかった。



私と妹はまた、ケンカしながらも二人ぼっちの小さな生活を送っていた。










私は父を部屋に入れた。


父は私と目を合わせなかった。


明らかにやつれていた。


どうやってここまで来たのか、バスでも乗ってきたのか、


歩いてきたのか、



憔悴している、そんな言葉が適切な姿だった。



そして、ため息ばかりついていた。


毎日毎日、寝ても覚めても、金策に回る。きっと1日も気の休まる日などないのだろう。


どこで眠っているのか、ちゃんとごはんを食べているのか、


ため息しかつかない父の背中を見ていることさえとてもとても、辛かった。




「店のママに、」



「金を貸してもらえないだろうか」



私を訪ねてきた理由は分かっていた。



私は、父にご飯とみそ汁を出した。


「これしかないけど、食べて」







とても父が不憫だった。


父が可哀相で可哀相で、どうしようもなかった。


300万と言った。


必ず返す、お前には迷惑を掛けない、


どうでもよかった。





私はママに電話をした。


とたんに涙で声が潰れた。



「わたし、絶対に、一生懸命働いて返しますのでお金を貸してください」



ママはとても驚いていた。


しかし答えはNOだった。


「貸してあげたいけど、もう店も大変な赤字続きでお金がないのよ」


私は、自分に良くしてくれる人にとんでもない事を言ってしまった、という気持ちになって、「ごめんなさい、忘れてください」と言って電話を切った。



私は父の居る部屋をのぞいた。


父はご飯に箸を付けていなかった。



どうしていいかわからなかった。



ただ毎日を妹と一緒に、その日暮らしのような生活をしていた私に、お金なんてあるはずなかった。

お財布には1000円くらいしか入っていなかった。


私は身の周りのものを集めた。


以前、お客さんに誕生日にもらったブランドのバッグやアクセサリーを持ってリサイクルショップに行った。


二束三文だった。


私は300万要る父に数万円を渡し、「ごめん」と言って渡した。


父は小さく「返すから」と言ったが「要らない」と私は言った。



それから、次のお給料日までバッグのなくなった私は、紙袋を持って仕事に行った。


代替えのカバンを買うお金もなかった。


ちょっとだけみじめだと思った。