山元さんは、子供の頃から身体が弱く
往診に来られるお医者さんの姿を見て
憧れてお医者さんになったそうです。
宮崎県都城市でお育ちになり、
自治医科大学 ご卒業後、
研修医を経て 着任なさった場所は
日本三大秘境のひとつ
宮崎県椎葉村(しいばそん)でした。
椎葉村は 平家の落人の里で、
険しい山が 連なっています。
田んぼで十分な米を作ることが出来ず
畑で野菜を育て、牛を飼い、
あとは日雇いで 生計を立てる、
厳しい生活状況でした。
彼らのように
一生懸命に生きている一人一人が
幸せになれるお手伝いが出来る医者に
なりたいと思ったそうです。
山元香代子さんの原点となった椎葉村
宮崎県の北西、
九州中央山地に位置し、
人口 は3,130人、 537.35㎢と
いう広大な面積を有し、
その約96%が森林で占められる
緑豊かな村です。
椎葉村では 古くから農作業を
お互いで助け合う「かてーり」
という相互扶助の精神があり、
こうした絆が 田畑や森林、
文化を守っている礎となっています。
「日本で最も美しい村」連合 HP より
19日 午後 、NHKで 椎菜村が
放送されました。
私はそのテレビを
見ることが出来ず 残念でしたが、
しのぶさんが そのお写真を
ブログに 載せてくださいました。
本当に嬉しいです
しのぶさん、
ありがとうございましたm(_ _)m
山元さんは、
WHO(世界保健機関)医務官となり、
マニラへ小児保健政策提案に尽力します。
WHOで働く者が見せてもらえるのは
ショーケースのような医療現場で、
本当に困っている部分には
接することが出来なかったのです。
JICA(国際協力機構)専門家として
地域保健医療の向上に力を注ぎます。
しかし現地で目にしたものは、
患者や家族に対しての温かみのない医療
必要なところに援助が行き渡って
無い現状を目にします。
もっと思いやりのある
温かみのある診療所をつくりたい❗️
モデルとなる診療所を作ろう❗️
と決意したのでした。
そんな時ザンビアでの医療活動に誘われ
辺地での医療活動を決意します。
巡回診察の値段は無料。
無給で 薬と診察を提供するには
当初年間500万円の活動資金が
必要でした。
当初は、活動資金を調達するため、
3ヵ月ごとに日本の病院で働き、
その収入のほぼすべてを
ザンビアでの活動に投じました。
過酷な環境で、お給料ももらわず、
そのうえ 私財を投じて、
本当に 頭が下がります m(_ _)m
現在 山元さんは ザンビアの辺地医療を
支援する会(ORMZ)の副理事長に就任
3ヶ月毎にザンビアと日本を
行き来しています。
ザンビアでは、診察のほかに
住民に対する保健衛生、
コミ二ュティヘルスワーカー
(巡回診察のサポート)の養成、
井戸の設置などの活動も行なっています。
コミ二ュティヘルスワーカーは、
巡回診察のサポート以外に
マラリア予防・検査・薬剤投与、下痢
小児の肺炎治療などを行なっています。
2014年地域住民の安全な飲料水確保
のためルアノ地区に初の井戸設置、
その後他地区を含め17基以上の井戸を
掘削しています。
このような活動の結果、
マラリアによる死亡率は激減、
貢献度は計り知れません。
このように立派な活動を
行なってきた山元さんですが、
資金を貯め、単身でザンビアに行く時は
慕っていたお父様が、お母様を説得して
叶ったそうです。
そんなお父様は末期癌で亡くなりました。
山元香代子さんは、
「側にいたら、そんな癌も
早く見つけてあげられたのに・・」
と思ったそうです。
お父様が亡くなられる前、
山元香代子さんは電話で
お父様とお話をした際、お父様は、
「香代子は日本一の医者だ」
と仰ったそうです。
お父様は、その2時間後
亡くなられたそうです。
私は、
山元さんは 世界一のお医者さん❣️
と思います。
山元さんのお言葉
私自身は3か月間日本に戻り、
病院でアルバイトをし、
3か月間ザンビアで仕事をする
という生活を繰り返しています。
私の不在の間は、
現地のスタッフが活動を継続しています。
中国経済の低迷で銅の輸出が減り、
ザンビアの経済状況は悪化し、
物価はあがり、首都ルサカでも
1日8~14時間の停電、
いつ水が出だすかわからないような
断水が続くなど厳しい状況です。
しかし、現地のスタッフの協力のもと、
地域住民と十分な話し合いを重ねながら
問題点を一つ一つ忍耐強く解決しながら
活動を着実に継続していこう
と考えています。
今後ともご支援宜しくお願い申し上げます。
山元香代子さん、ザンビアの
辺地医療を支援する会
(ORMZ)の現在の活動を知りたい方は
アクセスしてください。
「特定非営利活動法人ザンビアの
辺地医療を支援する会(ORMZ)」では、
賛助会及びご寄附も受け付けています。