娘の7回忌に思うこと。 | 凛として生きる「女性らしく今を大切に」

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子宮内膜症、子宮筋腫、卵巣嚢腫、卵巣腫瘍、子宮腺筋症、ポリープなどの婦人病を抱える病と向き合いながら体調管理や、女性として凛として生きて行く日々を綴った50代女性起業家のブログです。



本日は、

愛しき娘が旅立ってから

七回忌を迎えました。



 

仏教では
弔い上げまでの法要は
五十回忌まであります。


・百カ日(ひゃっかにち)
・一周忌(いっしゅうき)
・3回忌(さんかいき)
・七回忌(ななかいき)
・十三回忌(じゅうさんかいき)
・十七回忌(じゅうななかいき)
・二十三回忌(にじゅうさんかいき)
・二十七回忌(にじゅうななかいき)
・三十三回忌(さんじゅうさんかいき)

・五十回忌(ごじゅうかいき)

 

仏教では

どんな死者の魂でも

五十回忌を迎えると

弔い上げとされています。

 

いただいた戒名ではなく

『〇〇家の先祖の霊』へと

変わるとされます。

 

不思議なご縁が巡り

私のところへ母方の

祖父や祖母の戒名も含め

幼い頃に亡くなった

伯父や伯母に当たるであろう方の

戒名も共に巡ってきました。

 

それからずっと父方も母方も

どちらの先祖も併せて

先祖三代の霊を含めて過去世に遡り

先祖の霊を定期的に必ず供養しています。

 

2~3年前には

母方の祖父が五十回忌を迎えたので

戒名から『〇〇家の先祖の霊』になり

弔い上げのときを迎えました。

 

その前後に、

我が家の母も亡くなり

母の三回忌も過ぎて行って

本日、娘の七回忌を迎えました。

 

娘の弔い上げまでは

続けていきたいと思う法要。

 

残り43年あるけれど

途中でできなくなるのかな・・

 

亡くなってすぐは

満中陰を迎えるまでの間

魂はひとつひとつ

七日ごとの裁判を受けながら

四十九日を過ごします。

 

その間、亡くなった魂は

現世と来世の間を彷徨う、とか。

 

この彷徨っている状態を

中陰(ちゅういん)や

中有(ちゅうう)と云います。

 

この間に魂の行き先は

どこへ向かうかが決まる、

とされています。

 

その昔、その裁判には

六文銭が1枚ずつ必要とされて

魂の行き先が決まる四十九日で

忌明けを迎えると云われました。

 

実はその後も、

五十回忌までは裁判の再審が

行われていくと聴きます。

 

五十回忌を経て

魂が無罪を迎えることになり

極楽浄土へ旅立つまで

裁判は続くんですね。

 

ただ仏教には、往生即成仏
(浄土へ往生するとともに仏となる)
というご縁もございますので

そうしたご縁をいただく場合は

魂の旅をしないともされています。

 

そして、法要にはなぜ

三回忌、七回忌があるのか?

 

冒頭でお話した

三回忌、七回忌の意味を

現代では知る人も少ないことと

思います・・

 

これには、諸説ありますが・・

 

三回忌で「三」という

数字を用いる理由には、

「三」は「二」を超える、

という意味なのだそうです。

 

「二」を超えると云いますのは

「陰・陽」「有・無」「勝・負」

「損・得」というような両極端に

偏った二つの考えを離れることであり

中道へ向かうことを意味します。

 

中道とは仏教の中では

悟りを目指す上においては

大切な道となります。

 

釈迦は息子のラゴラ尊者に

 

「“二”を超える生き方をせよ」

 

と伝えています。

 

東洋の学問では

今世に生まれてくる魂は

陰陽のどちらかに偏った状態を有して

生まれるともされています。

 

そのために、

“肉体”という物質を持ち

生まれてくる。

 

本来、

魂とは肉体を持ちませんが

偏ることで肉体を持ってしまう、

ということです。

 

人が持って生まれる宿命には

六十干支の要素がありますが

それは本来120種類の干支です。

 

今世に現れるのは

陰と陰、陽と陽という

どちらかに偏る六十種類の干支で

陰と陽、陽と陰というような

バランスの良い干支は生まれず

あの世の干支と云われます。

 

三回忌とは、

魂が陰と陽の偏りや執着を

超えていく頃・・

 

そして、七回忌とは

人の魂が輪廻を繰り返す

六道輪廻の世界を抜けて

こちらも六道の世界を超えて、

悟りに至ることを暗示している、

と云われており・・

 

そのような理由から

六を超える「七」という数字は

迷いを超えるという意味でもあるため

大切にされる、とも云われます。

 

母方の祖父は

大変苦しい生き方をして

母の話を聴く限りでは

大変に不器用な人でしたから

今世では子供たちにも嫌われて

早くにパートナーである

祖母も亡くしましたので

多くの試練や苦難を体験し

最後は誰にも愛されることなく

寂しく旅立ったようです。

 

そんな今世での苦しみや

哀しみや孤独感や執着など

苦しんだ魂は旅立ってから

私の元へ巡ってくる頃には

五十回忌を迎えるときでした。

 

苦しかった罪も無罪となり

きっと極楽浄土へ迎えられ

長い長い御勤めもようやく

終わる頃だったのでしょう。

 

母の魂は三回忌を超えたので

今頃はようやく「陰陽」の偏りを

超えられる頃を迎えていて

楽になり始めているのかもしれません。

 

そして我が娘は

早いもので七回忌ですから・・

 

苦しい六道輪廻を超えて

そろそろ悟りのときを

迎えているのかもしれません。

 

七回忌は、

魂が旅立ってから6年目です。

 

娘がこうして悟りを迎える頃、

私自身はどんな魂でいるのだろうか?

 

少し自分と向き合ってみたいと思う。

 

5年目を迎えたときには

娘を失った非常に辛い哀しい

ひどく愛着ある痛みを超えたような

ひとつの節目を感じたものです。

 

それまでの間は

娘の死は受け入れ難く

拒否し続ける痛みの強い5年が

過ぎたものです。

 

そこからようやく

娘は旅立ったのだと認めるように

少しずつ少しずつ受容が始まって・・

 

癒しに向かうためにこの1年を

過ごしてきたように思います。

 

娘が旅立ってから6年目になる、

七回忌をこうして迎えてみると・・

 

昨年までに感じていた

鋭い辛さや心の痛み、

今世に起こる理不尽や矛盾への苦しみを

赦すことができずに何とか排除しようとする

執着や苛立ちやジレンマよりも・・

 

今世は複雑な縁が絡み合う

陰陽の偏りのある世界であることや、

 

理不尽さや矛盾の巣窟であり

たくさんの因縁が絡むことで

どうにも解くことのできない

根深い因縁ある世界なのだと・・

 

娘を失った理不尽さも

受け入れ始めたように思います。

 

今世に出てしまったこの結果を

改めて見つめ直す中で・・

 

過去に起こした因縁が

未来において結果を出したことを

少しずつ少しずつ認めていく・・

 

そんな心の境地へ

進み始めていることを感じます。

 

娘の命を奪うに至った

相手の暴力行為については

その元を辿っていくならば・・

 

そこには教育や環境の

根深い問題や課題があると

分かりました。

 

さらにそこには

もっと根深い脳の働きも

関係しているであろうことや

治療や療養が必要な領域であることも

理解できるようになっています。

 

暴力を振るうときは

脳の中に過剰なホルモン分泌が起こる。

 

本人がコントロールできる範疇を

超えていく脳の異常な働きも起こる。

 

その場にいて目撃した人たちは

娘を襲っていた人物の眼は異常で

瞳孔が開いたような感じで

普通じゃなかったと話していた。

 

精神論でも教育論でも

環境論でもない根深い課題が

こうした暴力を振るう人には

存在しているのだとも分かってきた。

 

必要なのは警察ではなく、

治療や療養なのだろうと思う。

 

脳の働きが狂ってしまうことで

感情のコントロールがきかなくなり

自分の味方である大切な存在や環境を

自らの手で破壊するならば・・

 

悲劇を止めるひとつの抑止力は

健全で健康的な心身バランスを

整える道なのかもしれない。

 

環境や関わる縁が変わり

生き方を変えられる教育があり

健全で健康的に生まれ変われる機会も

チャンスも与えられるとしたら・・

 

暴力や戦争が横行するこんな世界でも

何かが変わるのかもしれないね。

 

療養が必要で助けが必要な人たちが

悲劇を起こして刑務所へ行く前に。

 

昔、暴力的な子供たちが

通っている中学校の校長が

給食を自然界の天然なものに

変えることで校風が整って

子供たちの心身が落ち着き

成績も向上したという記事を

みたことがある。

 

体が病むなら心も病む。

 

心が病むなら体も病む。

 

自然界の循環から

離れれば離れるほどに

人は心身のバランスを崩し

病んでいく方向へ向かう・・

その先に起こることは

人生の悲劇やトラブルであり

人生を棒に振るほどズレる事もある。

 

生まれてくるときは

誰も悪質でないならば

どこで人の道がズレるのだろう。

 

それは生まれ落ちた環境や

そこに縁する人の縁であり

複雑に絡む因縁のタイミングなど

様々に要因はあるようで。

 

悪しき結果が出るものは

ひとつの原因だけではなく

いくつもの因縁が複雑に

絡み合って出る・・

 

それは、

善き結果が出ることでも

同じこと。

 

ひとつひとつ

個々の選択の先に

因縁が起こる。

 

今の瞬間に判断することが

この先の未来の人生に影響する。

 

実際に、そうなる。

 

今、発する言葉が

後の未来を創って行くし・・

 

一つ一つの判断が

未来の人生の道を選択し

起こる出来事を決めて行く。

 

今、この瞬間に自分の選択は

少しでも善いものを選択することで

未来の善い結果へつながって行くなら・・

 

今の自分が決めることは

本当に大切な選択なのだと思う。

 

今でも思う・・

 

あのときの娘を

止める選択をしていたなら・・

 

あのときの娘と

話せていたのなら・・

 

あのときの娘を

守れていたのなら・・と。

 

そして、たられば、は

何の意味もない。

 

結果が出てから

過去を遡ったとしても

できることなど何もない。

 

今にできることは

今からの未来のために

今、目の前にある選択肢から

いつも善き選択を選ぶことだけ。

 

今にできることなんて

それしかないのだから。

 

だから今に集中して

今の目の前の選択を見て

善き方向へ向かって選ぶことが大切。

 

これからやってくる

大切な未来の時間を

今、この瞬間に放棄しては

いけないと思う。

 

一瞬の選択が、

生死を分けることがある。

 

いつも選択の連続が

人生を創っていくのだから

今という瞬間を大切にしてほしい。

 

娘を失ってから

ずっとそう思い続けている。

 

人生の選択を放棄しないで。

 

何を選ぶかで、

先の人生は変わるのだから。

 

最近、あんなに小さかった

可愛い子供がとても成長している。


みきほが着ていた服を

着るようにもなった。



 

その成長を娘と共に

喜び合える膨大で幸福な時間を

失ったからこそ分かることがある。

 

今の私はきっと誰よりも

今という瞬間に集中して生きるように

なっていると思うほど・・

 

子供たちが

話しかけてくる大切な瞬間は

少しも逃したくないと思っている。

 

みきほと毎日、

LINEを欠かすことはなかった。

 

いつもくだらないことを

2人でやり取りしては笑っていた。

 

そして、みきほにソックリな

受け答えをするようになった

イッキにはドキっとするようになり

みきほとの会話が再現されているように

錯覚することもある。

 

そんなイッキがこんなことを言う。

 

「お母さんは、みきほに似ているね。」

 

『違うよ。

みきほが、ママに似ているんだよ。

イッキも、みきほとママに似ているね。』

 

それだけの会話でも、幸せを感じられる。

 

そんな今を、大事にしていきたい。

 

大切なことはいつだってシンプル。

どうぞ今をたいせつに。

   

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