教育ママが背負った、一生の後悔。 | 凛として生きる「女性らしく今を大切に」

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子宮内膜症、子宮筋腫、卵巣嚢腫、卵巣腫瘍、子宮腺筋症、ポリープなどの婦人病を抱える病と向き合いながら体調管理や、女性として凛として生きて行く日々を綴った50代女性起業家のブログです。

もうすぐ、母親が鹿児島に来てくれます。

私が移住してから回復して
とても元気になったことを
喜んでくれている母親です。

そして母も湯治に鹿児島を
訪れたいと言うので…

母が来たらどこに連れて行こうかと
考えるだけでプランを立てることが
嬉しくなります。

母好みの温泉が鹿児島には
たくさんあるので…

温泉に連れて行ったらきっと
とても喜ぶだろうなぁ…って。

そう思うだけで、嬉しくなります。

今でこそ…私と母は、
こうして仲睦まじく付き合えるように
様々な確執も解けて仲良しですが…

昔は上手くいきませんでした…

だからこその今なのだと
最近はとても思います。

生まれた時からすでに、
我が家はオリンピックを目指す
競泳一家でした。

それも、母親の夢だったからです。

母は子供達をオリンピック選手に
育てることが夢だったようです。

私が生まれた時には
すでに兄がオリンピックを目指して
水泳を始めていたようです。

私も生まれてから3歳になると
母に連れられてスイミングクラブで
特訓を受けるようになりました。

その頃の母はとても厳しくて。汗

我が家はオリンピック一色…

母も水泳コーチの免許をとって
一緒にオリンピックへ行けるように
家でもコーチで、本当に恐かった。

わたしはまだマシだったかも?

おっとりしている性格だったので
あまり競泳には向いていませんでした。

8歳離れた兄には天性の運動能力があり
大会で小学生のうちに出した記録が
今でも破られていないほどの実力者でした。

だから当然…
期待は兄に一心に注がれたものです。

おかげで私は厳しく指導されても
そこまでの期待はされずに済みました。

とは言っても…

学校での成績も、競泳の成績も
優秀でないと気が済まない母でしたから
本当に恐くて必死で勉強も水泳も
頑張ったものです。

やがて…
兄の才能はグングンと伸びていき
その名前も地元だけではなく
どの大会でも有名になっていきました。

競泳で有名な私立の高校へ進学。

その頃からは特別な扱いを受けて
学校でも期待のオリンピック候補となり…

国体でも注目される選手へと
順調に成長していきました。

そんな頃、私もようやく
少しずつ水泳の才能が伸び始めて
市大会から県大会へと
学校でも成績を伸ばしていきました。

母にとっては子供達2人が
満足のいく成績をおさめることは
何よりも誇りであり喜びであったと思います。

そしてやがてやって来た、
オリンピックの選考会の日…

兄は国体の舞台でいつになく
緊張しているようでした。

いつもの覇王的な威力を感じず
調子が出ない様子で顔が強張っていました。

それほどに…

オリンピックというものも
周りの人の期待というものも
そして、母の夢というものも…

恐ろしく重たい重圧だったのだと思います。

兄は元々、
心臓に毛が生えているのではと思うほど
ハートの強い人間でした。

自分にとても自信もあり
自分の実力をよく知っている。

そのための努力も欠かさないし
毎日の練習はストイックに
欠かさないで続けていました。

兄は少し人と違っていて…
IQの高い人でもありました。

だから、何をやらせても
人並み外れた能力を発揮する人でした。

特に美術や芸術の才能は
並外れたものがあって…

絵を描かせたら、
本物のように精密な部分まで
細かく描き込むほどの能力を持っていました。

誰も兄には敵わなくて
何をやらせても凄かったです…

私は幼い頃から、
ほぼ一言も兄とは会話しないで
生活を送っていました。

そばには、恐くて近寄れず
遠くから兄の様子を見ては
自分の部屋に逃げていました。

兄には天才的な能力がある代わりに
人としてのあたたかな感情的な人間味が
欠けていたからです。

家にいるときは一言も話さず
いつも無表情でなんとなく恐くなる
そんな雰囲気を醸し出していたからです。

自信に満ちているというより
無感情で物事に動じない…
感情のブレがなくて
恐いほど冷静で冷たい印象…

それが私の兄に対する印象でした。

そんな兄でしたから…
どんな大会に出て泳ぐときも
緊張した様子を見たことがありませんでした。

いつも必ず好成績をおさめては
言い知れぬオーラを放っていました。

誰もがオリンピックの出場を
決めてくるであろうと思われた試合。

その試合に立った兄は…
本当にいつもと違っていました。

『ねぇ、ママ。
お兄ちゃん、いつもと違うね』

恐いながらもいつも
どこかで尊敬して憧れていた兄の才能。

その姿は脅威でもあり
敬意を払うべき姿でもありました…

だから兄の様子には
とても敏感だったのかも知れません。

その微妙な変化は、私以外、
結局、誰にも分かりませんでした。

私には…その日、
兄が負けると分かりました。

いつもの兄じゃなかったから…

試合は、スタートしました。

コースを折り返す兄に、
周りの選手は誰も付いて来られなかった。

その様子に私も、
気のせいかな?と思い始めた矢先…

それは起きました。

残り15mまで、断トツで
トップを泳いでいた兄のペースが
いきなり乱れました。

それまでのスピードとは違い
明らかにペースを落とし始めました。

母は泳いでいる兄に届くように
観覧席の一番前まで行って

『セイ!セイ!』

声を張り上げて応援しました。

チームの仲間の選手も
チームの関係者の方々も
全員が総立ちで兄のペースを
後押しするように声を張り上げました。

やがて残り5m…

兄以外の
オリンピック候補選手たちも
兄に追いつきました。

『横一線だ!!』

確かアナウンサーの声だった気がする…

その声に私の緊張感はピークに達して…

そこからはまるで
スローモーションを見ているかのように…

その試合が見えたものです。

ゆっくりと兄を抜いていく選手が
ひとり、またひとり…

会場で座っていた人は
誰ひとりいなかったのではないかと
そう思うほどの人が総立ちで歓声を上げ…

息を飲んで見上げた電光掲示板には…

1位…2位…3位と、
タイムが一気に表示されました。

そして、その後にも表示された。

それが兄のタイムでした。

オリンピックの夢を逃した瞬間でした…

いつも冷静で、存在感があって
感情的にならず、試合では動じなかった兄。

とんでもないことになったと
私は身体が震えるほどに
その現実が受け止められませんでした。

私がそうだったから、
母はもっとだったと思います。

そして兄はもっとだったと思う…

父だけだった…

『仕方ない』

そう言えたのは。

どれだけの練習量を
毎日こなして来たかは
私も同じく泳ぎ込んでいたから
嫌でも理解できる…

兄は毎日クタクタになるまで
最低でも10000m以上を
繰り返し練習してきました。

距離にして10km以上を
毎日毎日泳ぐ込む日々…

いつもの兄なら…
間違いなくオリンピックへ行っていた。

だからこそ…
電光掲示板のタイムを見て
誰もが本当に心から惜しんだ。

そこから…
我が家には何が起きたか
私にはあまり記憶にない。

それほど恐くてその現実が
受け止められないから避けたのだと思う。

ただ覚えているのは
その辺りから兄が泳がなくなった事と…

母の口癖が


『自分の子供すら
思い通りにならないのに』


という言葉になって嘆くようになったこと。

やがて…

兄と母が口論することが増えました。

父と母も口論するようになりました。

そして父と兄も口論するようになりました。

私は、3人の関係が
徐々に悪化していく様子を見ながら
為す術なく、ただ悲しい思いを感じては
その気持ちを繰り返すようになっていました。

私が6年生になる頃、
母と兄はとても言い合いになりました。

そして兄から…
母に対しての怒りが一気に爆発しました。

身体の大きかった兄は
母に手を掛けて首を持ち
ガラスの窓に叩きつけました。

何度も何度も。

それは、とても恐い場面だったのに…

私は恐いよりも
凄く悲しかったのを覚えています。

なぜなら…
あの兄が泣いていたから。

そしてやがて
兄は家を出ていきました。

行き先は誰にも告げずに。

父と母の会話は消えました。

家では誰も笑わなくなりました。

私の家族は、そのときに崩壊しました。

それがとても悲しくて。

たまらなくて。

何がどうだったら良かったのか…

どうしたらもっと笑い合えたのか…

その時の私には分かりませんでした。

兄を失ったその後の我が家は
見た目的にとても落ち着いてみえました。

だんだんと兄のいない生活にも
皆んながそれぞれ慣れていき…

また父と母が夫婦仲を取り戻して
笑い合えるようになった頃…

私は中学生となり
競泳でも成績を伸ばし始めました。

そして母の期待の矛先は
今度は私に向けられました。

でも…その頃の私には
普段の練習以上に兄のように
母のその期待を背負うことなど
到底、無理なことでした。

そのストレスに
耐えられる自信がなかった。

あの強靭な兄でさえ
耐えられなかった重圧に
自分が耐えられるとは思えなくて。

そんな私に向けても母は…

『自分の子供すら思い通りにならない』

そう言ったことがあります。


それまでは恐くて厳しくて
逆らえなかった母だったけれど…

私には…

それだけは違うとの思いがあったから
そんな教育ママだった母には
ハッキリと伝えたことがありました。

『ママ、自分の子供を
思い通りにしようとすることが
初めから間違っているんだよ』

「え?」

母に反抗したのは、それが初めてでした。

しばらく考え込んだあと…


“そっか…そうだね…”


母はそう言ったと思います。
それから言わなくなりました。

そしてもう一つの母の口癖…

『私は子育てを失敗した』

その言葉も母は言わなくなりました。

今から30年も前のことだけれど…
そのときから母は変わりました。

そのときからいつも

『私が悪かったのよ…』

そう言うようになりました。

『あの子にもっと違うことを
してあげられたはずのに…』

そして私に対しても
厳しかった母は変わりました。

『親が子供にしてあげるのは
当たり前のことなのよ…』

そう言っては…

私に尽くすことをいつも考えて
周りに尽くすことを考えるようになりました。

母は変わりました。

だから、
兄とも確執は無くなるかなって
そう思っていたのだけれど…

父が亡くなった通夜の晩…

現れた兄はまだ…
母を許すことが出来ていなかった。

母と和解は出来ないままに
その胸の内を明かしていた…

兄に強く言うことは
私にはとても辛かったけれど、
初めて私は兄に向かって
強く怒り訴えました。

『目の前のママをもっとよく見て!!
もう、あの頃のママじゃないのよ!!
あの頃よりもうんと小さくて
うんと歳をとったママなのよ!!』

兄はストンと…
椅子に落ちて座って
大粒の涙を流していました。

もうあの頃の母ではなくなったこと。

兄がいなくなってから母も苦しんで
後悔して変わってきていたこと。

兄のことはもう誰も責めてはいないこと。

誰も何も悪くなかったこと。

ただ皆んな、愛情表現が上手くなかっただけ。

誰も責めなくていいこと。

そして、本当は皆んな
家族のことをちゃんと愛していたこと…

そんな話を兄にも母にも、
そして親戚の叔父や叔母の前、
子供達の前で思うがままに話しました。

誰も悪くなかったと。

だから誰ももう、
自分の決めつけたことで
誰かのことを批難したりしないでと。

自分の価値観が正しいと思ったときから
家庭の中にも戦争は起こるから…

誰も正しくなんかないし
誰も悪くなんかないのだと…

皆んな、
兄のことを愛していたんだと。


そんなことを
思いつくままに伝えました。

兄が泣きながら去る背中に
何かを言う必要があったのか…

私に、兄に何が言えたのかは、
やっぱり分からなかったけれど。

兄は泣きながら、

『俺も皆んなを愛しているから…
だから苦しいんだ。』

そう言いました。

母はそんな去っていく兄の背中に


『身体にだけは気をつけていてね…』


そう伝えていました。

その後、
兄から母に対して一方的に
父の遺産を巡るトラブルが起きた。

兄は母を追い出して苦しめて
全てを自分が手にしたかった。

母は父の遺した家と土地を守ることに
必死になって兄と闘った。

争ったまま2年が過ぎた。

そして、母に言った。

もう終わりにしようと。

守るものなんてもうないよ。

もう父はいないのだから。

過ごす時流(とき)は過去ではなく
生きている人たちの今の中にある。

そう思ったから。

「こんなに良い土地を譲って下さって
本当にありがとうございました!!
子育てには最適な場所です!」

全てを処分して分配することで
私たち家族の歴史は幕をとじた。

その後、
私たちの想い出ある実家の場所では
新たな三軒の家族の大切な歴史が始まった。

“どうぞ仲良くお幸せに。”


今でも私には
誰かが悪かったとはとても思えなくて。

誰も責める気になどなれなくて。

私が育ってきた中で感じた
家族みんなへのこの感謝も愛情も
今でも何ら変わりない。

初めから完璧な家族になど
なれないからこそ、
そこで学ぶこと、分かること
見えてくることがあるのだと思います。

私の家族は崩壊しました。

だからこそ…
私にとって大切なことは
身近な人たちを想うことになりました。

戦争は世界で起こるのではなく
家庭から始まるのだと思う。

それを止めることがもし出来るとしたら…

目の前の人より大切なことを
持たないことなのかもしれない。

目の前の人の心より
大切なものなどないのかもしれない。

大切なことはいつだってシンプル。
どうぞ今をたいせつに。

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