こんにちは"(*´˘` )♥(´˘`๑)"こんばんは






このつづき







私は私を観察してきて、どうして引き寄せの法則に出逢ったのか、どうして潜在意識の概念に吸い寄せられたのか、どうして人生を変えよう!と躍起になっていたのか、、、分かりますか?








常に十分ではないわたしだ、と不足を感じていたからですね。








でも不足しているという自覚はありませんでした。それよりも、わたしは足りない人、抜けている人、不完全な人であることは自覚してましたが、故に自分は特に、新興宗教の教義を守る必要があるという洗脳の元、自分と自分以外の人々との間には大きな差があるという見えない呪縛で人々や環境に怯えながら、同時にそれは敵対視している現象を創り出していたわけです。







しかしこのことに当時は気づくことが出来なかったので、単に(宗教観から来るけど)、わたしは足りない人、抜けている人、不完全な人であるという自覚止まりで、







不足している私、満たされていない私』という自覚はありませんでした。この違い微妙です。塩ひとつまみと塩少々の違いみたいな微妙さ、です。






この根底には、おそらくですが、12歳までの家庭環境下において、十分な保護を受けられなかったという記憶が作用していると考える方が、生きやすさを見つけられると思います







生きづらいなら、生きやすさを見出してから生きづらさを軽減していくという手法もありますからね。その生きづらいというラベリングに、十分な保護を受けられなかったという記憶が作用していると思う方がしっくりくるか、自己肯定感上げようと頑張る方が合っているのか、恵まれない人生だったと嘆く方がいいのか、それらは自分で考えて選択することはできます。それは他人に頼れません。自分でしか選べないことですから、どれが合うか試しで見るのも良いですね。










これ以降は3次元の物理的な面に偏った記述になりますが、共通の言語、言葉、意味、を通して、それぞれの人生のシーンによる事象を、分析しながら、心の中のわだかまり、頭の中を駆け巡る情報を、少しずつ解体していく方が、安全に、いばらの道だろう道を進んで行けると思います。安全が第一です。







私は、アラフィーという年齢に焦っていたので、潜在意識に出逢った8年前、人生の挽回を望んで、希望の光を見つけたこともあり、貪るように学んだんです。それこそ、嫌っている母親の信仰心と同じようにね。でも、人は、嫌いなものを見抜けないように仕組まれています。嫌い、という嫌悪感が先に来て、それ以上、それを意識しないように、スルーというスキルで誤魔化します。







何年も自分を誤魔化していくと、同じパターンの嫌なことを経験します。やがてそこには幾つか、メレダイヤのように細かくちらばめられた気付きがあります。そして一度は脱却しますが、また数ヶ月後に、嫌う同じパターンを体験します。







その過程は、苦しくもスピリチュアルを極めていく期間でした。エイブラハムの感情のスケールや、パワーかフォースかの意識レベル表に照らし合わせ、自分がどの周波数でいるのか、くまなく日々チェックしていました。それは波長を維持したい、維持しなければ幸せになれない、維持しなければ、コーチとして失格だ、維持しなければ生活できない、、、という意味付けを毎瞬行っていたわけです。また、エンジェルナンバーや、こうしたらこうなるというものの捉え方を守ろうと必死でした。







スピリチュアリストと名乗りコーチの起業までしましたが、上記のように『意味付け』というのは思い込みを二重にも三重にもさせ、危険なわけです。安全かかけ離れていくのです。(そう思うのも、意味付けになるのですが、、、)







子ども期、保護者から、こころを保護されなかった人は、自分を責める癖がついてるのです。例えば日常で、相手が至らなかったとしても、 自分を責めるのです。自分が何か態度が悪かったのかな?とかね。本当は全く違うし、はやとちりですが。







そんな癖を持ったまま大人になり、それが正常な自分であるという人物像で自分を名乗り、自分の人生として欠損を埋めるために生きているので、







頭の方(思考=エゴ)では、わたしは足りない人、抜けている人、不完全な人ですが、こころの方(潜在意識=無意識)では不足している私、満たされていない私、を演じさせています、、、







人は、豊かさみっけゲームの難易度MAXに挑戦していた、ということを思いました。だからこそ言葉は発展し意味付けがなされて、時代背景によりその意味づけも色をつけていったのではないか、と解釈します。






大昔には、こんなに複雑さをもつ言葉も意味づけもありませんでしたよね。宇宙という表現も使わなければ、潜在意識という言葉も知りませんよね。







私が8年前に引き寄せの法則に胸ときめかせ、潜在意識を頼りに、元宗教二世の自分を嫌悪した日々は無駄だったと思いたいほど、時間巻き戻すかのようにくらいついて学んだそれらの情報を、俯瞰してる観れるようになった今、そして会社でドクターや看護師と接したからこそ、わかった私なりの見解を見出した今、






思うに、潜在意識という言葉をある人により生み出され、我々が知ったことによりその潜在意識を確立させるためにお馴染みの氷山の図解を当てはめそれに準えた人生観をも作らせて、いた、と。






潜在意識の図




人生が自分の望み通りにうまくいってるなら潜在意識と顕在意識が一致していると言い、うまくいってないのなら潜在意識と顕在意識が一致していないという。人生が思う通りうまくいってないと、潜在意識がブレーキをかけてるとか、ブロックがあるからとか、ゴミがあるとか、自己肯定感が低いからとか、魂の成長のために知らせてくれてるとか、そんなふうに人間側、つまり物理世界の3次元の重鎮であるエゴ側にとって都合の良い見解、意味づけを当てはめて表現し、そのことがまるで真理のように語られていっているとも取れます。





本当に潜在意識は本当にそうでしょうか?これ、意味付けに過ぎないよね、と思ったのですよ。







また、仕事というのは、3次元的な見方で言う、生活を維持するための仕事ではなくて、好きなことをして自分を表現することを通して、自分を深く知るために自ら設定したに過ぎないということを、強く思います。






だってね、潜在意識がスピリチュアル界や引き寄せの法則の言う通り、そうだって言うなら、なぜドクターが望む年収じゃないんだってことです。看護師だって介護士だってそうなんですよ。心底働き方改革も年収アップも健康も望んでます。でも望み通りにならないのは、スピ界や引き寄せの法則のいう通り潜在意識がそうしてるから、、、ってゆったら、それ当てはまるのは、潜在意識信者と引き寄せの法則の信者だけじゃない?と疑問が出てきます。






となると、望まない収入、働き方には、じゃあ不足感があるのか?って言うとそれはないと思うんですよ。じゃあ十分な保護を受けられなかったという記憶が作用しているのか?って言うと、それも全員には当てはまりません。そんなことから潜在意識を改めて洞察してみています。







話ちょっとそれたと思いますが、私が望まないブラック企業に呼ばれるように配置されたのは、スピリチュアリスト達がお祭り騒ぎする潜在意識に対する疑問があったからなのかもしれません。





特に最近、豊かになるためにはどうのこうのって条件や制限をつけていることを自覚せず、方々で煽ってることが気になってましたから。いつまでも物理次元の3次元目線で豊かさを語り、唯物論や二元から離れられず物理を確定するゲームをやり続けている。ある種が嫌うロスチャイルド家が作った金融制度に揺らされ続けていることに気がついている人はどのくらいいるのでしょうか。しめしめなわけです。これを、洗脳と言います。







YouTube、TikTok、X、Threads(スレッズ)、Facebook、Instagram、とかとかたくさんのSNSに触れる時間が多いということは、自分を知ることをできなくさせて本当にやりたいことから目を背けさし、まだフェイクのアイデンティティのままでいるということでもありましょう。しかしそれはそれでよくて、自分次第ですからね。






それからもう一つ、ブラック企業に配置されたということは、ある人が私の助言を聞いて、その人を死から救えたということもありましたので、その人に会うために配置されたのかもしれません。







ということから、仕事というのは、生活の維持でもいいんですが、別に働きたくないなら働かなくてもいいわけで、仕事などしなくても自由に生きていけるわけですから。どうあっても完璧な起こりの完成形ののひとつでしかない、と考えます。







伝わりましたかね、、。

長くなってしまいましたが、今日も読んでいただきありがとうございます😊