こんにちは"(*´˘` )♥(´˘`๑)"こんばんは





昨日気晴らしにYouTubeを覗いたら、ぴょこんとおすすめに上がってきた動画が、、おいおいやめてくれよΣ(-᷅_-᷄๑)という内容なのに再生回数多いから、皆んな相も変わらず3次元にのスピリチュアルが好きねえ……、あ、ちがう私がそれを出したのか…のくだりを繰り返していました。






ちなみにその内容は、髪の毛長いと邪気がついて運が悪くなるとか?、ロングを巻く時は外巻きだと運が出てっちゃうから(笑)、内巻きがいいんだよとか笑笑笑。そんなわけあるか!とツッコミ入れながら眺めてるうちに、






こういうのを頼りにしないとわからないくらい、自分自身が何者かを思い出せずうろうろしてる人が多いことも感じました。きっと多くの人は、もう思い出せそうなんです。






だけど、やっぱり3次元の代名詞であるお金の話しや、上っ面の見せかけの愛をちらつかされると、えさになり、それがとっても大事なものに思えるように操作され、というか自分で操作してるんですが、何者かを思い出すのをやめてしまいたくなるほど、二元性のコントラストというのは、たえがたいほどの美しさでもあると思います。







本当はさっさと思い出したいけど、誰かによって思い出す、というプログラムだとしたら?、 先に思い出した私たちは、存在するだけで周りに影響を与えるとか、川の流れのように後世に遺していけるようにだとか、、、そんな目標はあってもいいのかなと思います。言わなくて語らなくていい、ただ自分が変われば周りは勝手に変わりますからね。






もちろん二元性の先には「無」である「空〜くう」であるには変わりないけど、そこに行くまでにはなんらかの割と適切な、そして一般的ではない方が刺激があっていいのかなという誘導が必要だ、と経験上胸が熱くなるほどおもいます。








さて、前置き長くなりましたが、2個前の記事から、【悲しいこと】の続きを書くと言っている、その「悲しいこと」についてですが、その悲しみがあまりにも深く,ということが、おきてて、書こうとした途端に、すっかり忘れていたことを走馬灯のように?、芋づる式に?出るわ出るわ出るわ、、、、





筆舌に尽くしがたい。






二日間泣き通しで、力がなくなりました。

私はどれほどのことを経験してきたのか、、、(そう思ってる人がいる、を見てる)と、悲しみが深すぎるあまり、自分の身体は破裂するんじゃないか?もピキピキと音がしてました。







その当時、今から39年前咄嗟にしまいこんだその時の記憶は、きっちり鍵をかけて、重石をしてみたいに厳重にしてあったのでしょう。全く予期せぬ思い出しの行為、自分でもびっくりです。本当に【起きることしか起きないんです】。





39年、やがて鍵は壊れたんじゃないだろうか?。壊れて錆びて朽ちてバラバラになって、散らばって、、、そうして、しまいこんだ記憶が、それぞれの記憶はパズルのピース一片です。一片一片が独立して復活したのかもしれません。





それは、私がこしらえたストーリーに過ぎません。

だけど、今、こうして書いているだけでまだドキドキ、泣きが襲ってきます。





まだもう少し、二元性の私に向き合って、それをとかしてあげたいと思います。





どうして、苦しかったのか、、、悲しかったのか、

こじつけ、意味付けすると、俄然スピリチュアル色キラキラしますけど、






私のやり方は、一旦相対的は意味づけをして思考が納得した、その後に、意味付けした文章を分解しますと、信念が見つかります。




信念は言葉の集積ですから、言葉の寄せ集めには膨大な概念が散らばっています。この概念が思考を作り、割と簡単に、ストーリーを次から次へとと量産します。量産した思考の整理を行うためには




まず書き出します。すると目は、その文字を追いかけますから、時間差ができます。その時間差は本質の自分が気づいてほしいことへの誘導に最適なんです




これにより思考の癖や、誤った信念や、無駄な抵抗の大元になる思い込みが見つかります。そしてそれはパターン化した思考なので、分解することは簡単です。







その時に必要なパワーというものが、

自分への尊敬という暖かい視点の理解と、


本当の愛であるそして本来の私たちのあり方である、無償の無条件の受容という許しです。






これの繰り返しで、深い呪いの効いた劣等感も罪悪感も、消えてなくなります。しかしそのようなネガティブな感情が完全に消えるかどうかは、どうでもいいことです。むしろ消えることはありません。消えること、消すことが目的なのではなくて、それを持っていた、演じていた、二元性の中にハマっていた、と気づくことが始めの目的と思っています。どこかの怪しいスピリチュアルはネガティブを消そうとします。愛で包んでとも言います。間違いではありませんが、ネガティブを消すことはできません。ポジティブだけでは,ここで存在することができないルールですからね。ネガティブは消そうとするのではなく、ネガティブを忌み嫌ったりしない、ネガティブなそれは持ってないと嘘をついたりしない、そのままの欠損しているその存在のままでいることを、二元性から脱却する、と思っています。





現在私が自身を研究中ですから、その人生=ライフの集大成を記す事は念頭にしています。







深き悲しみの中、まだ泣きやめない。泣き止もうとするのではなく、自然に泣が終わったら続きを書きます。





こんなに、酷くて悲しいストーリーを作ったなんて、自分でも胸が締め付けられます。このストーリーは、あなたにもぴったりだと思います。喉が詰まってる感じや肺が時々痛むならなおのこと、ストーリーを読んで、自身を解放することができたら良いならと思います。それは、あなたが認めたくなくても本質は手招きするでしょう。






抱えきれないほどの悲しみを小さいハートに隠し持っているんですから、あるシーンではひどく怯えたり、でも何もなかったかのように振る舞い、他人を安心させることに頑張るあなた、またある時は、無自覚に頑なに拒んだりして自己防衛に躍起になり、それが原因で背中や腰が非常に固かったり(スピっぽい語りだ…(笑))近くの音はさほど気にならないか聞こえないけど、世界から遠くの音をキャッチしてそれを探求することに気を使ってみたり、、、と鋭敏に研ぎ澄まされた五感を持つものの宿命というのでしょうか。催眠術でもかけられたかのような、冷たい深き悲しみは、まるで


アイスランドの青い氷の洞窟のように





美しいのかもしれません。








今日も読んでいただきありがとうございました😊